よんばば つれづれ

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デジタル時代だから手紙がなおのこと嬉しい

昨日子供たちの見守り当番を終えて帰ってくると、郵便受けに次男からの葉書が届いていた。

 

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年末から年始にかけて猛烈に忙しかったであろう次男に、思わず二マッとしてしまうような可愛い猫の絵葉書を先週送ったのだ。それに律儀に返事をくれた(親バカ)。チャコールグレーやダークグレーを通り越して、紛れもないブラックな労働をしているというのに、年賀状もちゃんと元旦に届いた。毎日サンデーの母が、今年から頂いた方にだけお返事を書くことにしてしまったというのに・・・。

 

 

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次男は音楽にのめりこんでしまい、普通の人より十年以上も回り道をしてしまった。モノにならなかった時のリスクも覚悟のうえで挑戦したのだから自業自得なのだけれど、以前も書いたように平安貴族の通い婚状態ゆえ、家に帰っても一人だと思えば、つい心配になって時々手紙を書かずにいられない。

 

LINEのやりとりもすれば電話もくれて、時に1時間も話し込んだりするけれど、やっぱり肉筆の手紙はまた格別で、しみじみと嬉しい(親バカ)。

 

今ならばそれこそ家族LINEでやりとりするのだろうが、息子たちがまだ家にいた20年以上前、私は仕事で息子たちは学校やバイトとすれ違いも少なくなく、私たちはメモ用紙に書いた手紙で連絡し合った。バイトならば、どんなに遅くても起きて待ち「お帰り」と声をかけてやりたいが、自分も明日の仕事を思うとそうもいかないので、メモに思いを込めた。

 

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息子たちのはユーモアにあふれ、彼らの返事を読むのが楽しみだった(親バカ)。このところの「整理したい病」でも捨てられず、こうしたメモが今も200枚以上残っている。

 

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息子たちの父親には慰謝料も養育費も1円も求めず、それなのに長男の大学進学で自宅通学させるため、軌道に乗っていた塾を人に譲って自分の故郷に戻り、仕事人生をリセットした。四十代も半ばになっていたのに、生来のわがままで納得のいかない職場はサッサと辞めて転職を繰り返したので、地位もなければ財産もつくれなかったけれど、このメモなどは私の大切な宝物だ。

のんちさんに言及していただきました!

いつも美味しそうなお料理と、お嬢さんとの素敵な母娘関係を紹介してみえるのんちさんが、私のちょっとしたコメントを受け止めて言及してくださった。

 

「追記」の部分で触れてくださっている。

nonchi1010.hatenablog.com

 

再度コメントを入れようかと思ったのだけれど、長くなりそうだったのでエントリーにすることにした。

 

私が子供のころは、大人が厳然とした権威を持っていた。個々の家庭がということでなく、世の中全体がそうだった。私の家は、父が当時としては珍しいマイホームパパタイプではあったが、肝心なところではやはり「親に口答えはまかりならん」というふうで、時には理不尽だと思い悔しさにふるえることもあり、経済的にも精神的にも自由を得たくて、私は早く大人になりたいと思っていた。

 

ただ、大人が確固たる権威を持っていただけに、現代とは比較にならないほど、大人たちはそれぞれの役割をきちんと果たしていたように思う。「〇〇らしく」という社会規範があって、皆それに合わそうと努力していたように思う。だから子供は子供らしく、大人の範疇のことを思い煩うことなく、元気に遊んでいられた。

 

現代は「〇〇らしく」などと求められない、自由と権利の時代である。結婚しても親になっても、自分の人生を追求したい。一般に子供は大事にされお金をかけて育てられるようになったけれど、世の中が複雑になり、なかには早くから大人の思いをはかったり、いつしか支える役目を担ったりしてしまう子供もいる。

 

おそらく、私が子供だった時代にも私が気付かなかっただけで、のんきに子供でいられない子もいたことだろうが、現代とは圧倒的に割合が違うように思う。今の子供たちは恵まれていると思う面もあるが、どうも私には子供の世界がしんどそうに感じられてならない。

 

次男が中学生だったある日、私はふと「この家は子供たちが帰ってきたいと思う家だろうか」と考えた。子供は子供なりに、外の世界で疲れヨレヨレになって帰ってくるのかも知れない。それなのに、次男など母親と兄の二人からガミガミ言われても、毎日嫌な顔もせず帰ってきてくれる。甘やかしてくれる祖父母のところへ行ってしまおうと思えば、そちらへ行くこともできるのだ(塾で生計を立てていた関係で、離婚後も婚家の近くに住んでいた)。

 

6人だった家族を3人にしてしまった直後だっただけに、「もうこれ以上家族を減らすわけにいかない。なんとしても息子たちは手元に置きたい!」と思い、遅ればせながら、その日から私は子供たちにとって帰りたい家にするよう心掛けた。

 

 子供は大人が思う以上にしっかりしているし繊細で、周囲のことをちゃんと理解している。大人の社会が複雑になり忙しく余裕がないと、子供は鋭く感じ取って気を使ってしまう。不登校になったりすることだけでなく、いじめや非行という方向に行ってしまう子も、もしかしたらそうした状態が苦しくて、SOSを発信しているのかも知れない。

 

 

今週はまた見守り当番。この子供たちの帰っていく家が、みんなあったかい家でありますようにと願いつつ、ランドセルの背中を見送る。

 

 

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少なくともアタシは、きままに暮らせたニャ!     byドリーム

 

※聡明なのんちさんには正しく伝わっていると思うけれど、「子供も大変」と書いたのは、あくまでも一般論としてです。

それから、子供の人生まで狂わせかねない状況でやむを得なかったとはいえ、私も結婚という大人の責任を果たしきれなかった人間です。



 

納得いかないこと

今朝のニュースで、福島でたまり続けるトリチウム汚染水を、薄めて海に流すか大気中に放出する方法が現実的で、さらに海のほうが確実性が高いという案を、専門家からなる国の小委員会が了承したと報じていた。

 

もうずいぶん前から言われている方法ではあるが、これが私にはどうにも分からない。基準値以下に薄めるというけれど、お味噌汁が濃いからといって、お湯で薄めてもお椀の中の味噌汁を全部飲めば摂取する塩分量は同じという話とどこが違うのだろう。

 

国の委員会に連なるような方たちなのだから、さぞかし賢い方たちの集まりだろうし、これほど長い時間をかけて検討もしてきたのだから、私などには分からない高度な思考の末に出した結論なのだろうとは思う。思いはするけれども、なにせ国のトップにいるのが「あの方」だ。「あの方」が集めた「優秀な方たち」が本当に信頼に足るのか、不安になってしまう。

 

IOCの方々も、今となっては、さぞかし「アンダーコントロール」という言葉を信じたことを後悔していることだろう。なにせ、義務教育レベルの母国語さえ理解しているのかあやしい方の発した「外国語」なのだもの。

 

 

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はや今日から2月。

 

世の中は嫌なニュースがあふれているから、せめてブログには、ささやかなことでもいいから、美しい話や楽しいことを見つけて書くようにしようと思っているのだが、なかなか見つけられないでいる。

 

ひとつ良いニュース。昨年末ガンの見つかった友人は、右全摘手術を無事終えこれから抗ガン剤治療が始まるとの手紙が届いた。「もともとペチャなので、精神的ショックもあまりないんです」と、明るい彼女らしい言葉が綴られていた。

 

大腸ガンの手術をした私の知人は、抗ガン剤治療でほとんど副作用がなかったが、リリー・フランキーさんの『東京タワー』のオカンのように苦しむ方もいる。友人の抗がん剤治療が、どうか副作用少なく、順調にいきますようにと祈る。

 

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いただきものの巨大な「あきひめ」、大きさが分かるようコーヒーカップに。

(自分で買うなら小さめの可愛いのが好みだけど、お遣い物なら大きくて立派なの、となるのは人情でしょうね)

 

夜のミーティング

昨日は、スタンディングの仲間よりちょっと若いメンバーたちとのミーティングだった。前回のチャリティー・アート展のときに新聞社回りなどを一緒にした人たちだが、まだグループの正式名称が付いていない。現役世代なので夜のほうが都合が良いという人が何人かいて、夜のミーティングとなった。

 

メンバーの一人Sさんは、この春から小学一年生になる息子さんのTくんを連れて参加された。このSさんと出会ったのは、安保関連法に反対するママの会。その頃お子さんは、二歳になるかならずの赤ちゃんだった。ママの会主催の催しで私がベビーシッターをしたり、その後もイベントやミーティングでTくんには何回か会っているが、今回はいよいよ一年生。言葉つきもすっかり大人びて、つくづくこの活動に費やしてきた時間の長さを感じた。

 

そのSさんが昨夜言った意見が、私には非常に印象に残った。政治は自分に関係ないと言う人が結構いるが、生活は全てきわめて政治的なもので、実はメモ紙一枚捨てるのでも、丸めてゴミ箱に入れるか、雑紙としてリサイクル回収に出すかの判断が政治につながると言う。

 

私たちの暮らしには全て政治が関わっているとは思っていたが、小さなメモ紙の捨て方から始まっているとはついぞ考えなかった。私自身も通販のカタログからチラシ・DM・食品の外箱・トイレットペーパーの芯まで雑紙として資源回収に出すようにしているが、メモ紙は用が済めばゴミ箱に捨てていたし、そこから政治につながっているという発想はなかった。

 

「丁寧に暮らすことが良い政治につながる」とSさんは言う。確かに、経済的豊かさばかり目指し、損得や効率ばかりを考えて突っ走ってきた結果、経済大国にも先進国にもなり損ね、こんなぎすぎすした社会になってしまい、いまや丁寧な暮らしなどしたくてもできない層が厚くなってしまった。

 

そうして、Sさん自身が、ずっとあれはけしからん、これは間違っていると否定的な言葉ばかり耳にしてきて疲れてしまった、もう否定的な話は聞きたくないと言う。それよりは、ちょっとしたことでも、こうしたらよくなったとか、気持ちがいいとかいう話をしたい。心地よいことが分かれば、人はそれを続ける気になる、と言うのだ。否定的な言い方では、人は耳をふさぐばかりだと。

 

今の若い人たちが否定的な言い方を好まないということは知っていたけれど、四十代以下(Sさんは昨夜のメンバーで一番若く、四十代)の若い人たちを巻き込んでいきたいと思えば、「上から目線」の教えてやる式の態度や批判的・否定的な物言いをしていてはだめだと、改めて思い知らされた。

 

”言い出しっぺ”は、きちんと暮らすけどおとなしい国民は、為政者にとってより好都合になり危険だと、少々Sさんの意見に懐疑的だったが、政治家やマスコミに対してはある程度鋭い切り込みが必要だし、政治なんて自分に関係ないと思っているような一般の人々に対しては、回り道ではあっても、Sさんの言うような暮らしの中のささいなことから気付いていってもらう努力が必要なのだろう。対症療法と体質改善を、二本立てでしていく必要がある。

 

参加者5人のうち3人が現役の「お母さん」でもあり、安全な食べ物の話でかなり盛り上がってしまい、あっという間に9時半過ぎで、6歳のTくんも眠くなってきて会はお開きに(私もそろそろ就寝時刻・・・)なった。

 

話し合いは中途半端になったが、とりあえず、来月11日には豊橋でも明るく緩い感じで、フラワー・デモをしてみることにした。

 

 

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Sさんと出会った、「ママの会@三河」発足間もないころのデモクラカフェ風景。

 

 

Sさんが安保法に抗議する集会でスピーチした時のブログ。Sさんの素晴らしいスピーチ内容と、こういう方が否定的な言葉に疲れて今日の意見になったことにちょっと感慨を覚える。

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

 

 

とかく人生は・・・

昨日はスタンディングのミーティングだった。いつも利用する市の施設の会議スペースが予約できず、最近は出席者も少ないからと、フリースペースの4、5人用のテーブル一つが押さえられていた。ところが、こうした時に限って、10人を超える参加があった。こんなに集まることはめったにない。嬉しい誤算だった。

 

さすがにその場所では無理なので、急遽近くの和風レストランに移動した。午後の時間なので私はもうカフェインは摂取できず、ぜんざいを選んだ。甘いぜんざいのあと、つい添えられた緑茶を飲んでしまったところ、どうやらそれが障ったらしく、昨夜はなかなか寝付かれなかった。情けない・・・。

 

いつの間にか、寝ることが喜びではなくなっている。就寝するときはほっとする気持ちがあるが、夜中に目覚め、時刻を確認してまだ夜中の1時、2時だと「ああ、まだ朝ではないのか」とがっかりする。もう一度眠る努力をし、再び目覚めて5時を過ぎていると、「ああ起きられる」とほっとする気持ちになる。働いていたころには、「もっと寝たい、もっと寝ていたい」と思ったものなのに、いまや何時まで寝ていてもいい身分になれたというのに、皮肉なものだ。

 

話がそれてしまったが、昨日のミーティングの参加者Iさんが、福岡で行われた中村医師のお別れの会に、とても多くの人が集まったと話していた。Iさんの友人が、豊橋から日帰りで出席したのだそうだ。おそらく、もっと遠方から泊りがけで参加した方もいることだろう。そして、これからも多くの人の心に、中村医師は生き続けていかれる。

 

生きていて、しかもその人に大きな力があれば、その人の周りに人は集まり、言うことを聞きかしずくかもしれないが、力を失ったり亡くなったりしたときに、周囲の人々はどうなるだろうか。首相のお膝元山口4区で異変が起こり、静かに”安倍離れ”が進みつつあるという。「安倍恥」なる言葉もささやかれ始めたというニュースを目にした。

 

ちょうど今読んでいる『源氏物語』でも、桐壺帝が崩御されて弘徽殿女御側の帝(朱雀帝)が即位して光源氏の力が弱まり、二条院から人が去って一気に寂しくなるという話が展開している。力でなびいた人々というものは、風向きでまたあっけなく宗旨を変える人々である。

 

 

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ちょっと宗旨を変えて・・・ンニャ、寝場所を変えてみました。     byオーガスト

 

中村哲先生のお別れ会の日です。

本日2時から、福岡市の西南学院大チャペルで中村哲医師のお別れの会が行われている。きっと多くの方が先生との別れを惜しんでいることと思う。せめて、はるか東の地から、ご冥福をお祈りしよう。

 

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名古屋でも行われるとのこと。

 

中村先生のなさったこと。援助物資が途中で誰かの懐に消えてしまったり、機械が故障すれば直す部品もなければ技術者もいなくて、無用の長物になるしかなかったりする、途上国への政府の援助とはまるで違う。

 

こうしたことこそが平和への一番の道だと思うのだけれど、その中村先生が凶弾にお倒れになったのは本当に悔しくて残念だ。

 

それでも、残されたペシャワール会の人たちは、先生の遺志を継いで活動を継続していく。私も、支え続ける一人であろうと思う。長者の万灯に勝るかどうか分からない、消え入りそうな貧者の一灯ではあるけれど。

 

「一隅を照らす」。大変好きな言葉である。

久々の源氏

この間読んだ本があまりに軽い調子の作品だった(結局半分もいかずに脱落)ためか、少し重厚なものが読みたくなった。

 

勤めていたころは、持ち運びに便利な文庫本を中心に通勤読書をしていた。そのころはまだキンドルもなく(今はあるのにほとんど出番がないが)、もちろんスマホも持っていなかった。そうして携行する本がなくなると、次の作品を購入するまで『源氏物語』でつなぐという感じで、蔵書の円地文子版と与謝野晶子版は何回か読んだ。

 

電車に乗っている時間は10分もなく、しかも電車は地方都市の小さな電鉄会社にしては珍しく15分おきにあるので、待ち時間も最大で十数分なわけだが、毎日というのは偉大なもので、長い源氏物語も思ったよりも早く読めてしまう。

 

毎日が日曜日の生活になってからは、もっぱら図書館の本が中心になって源氏はとんと読んでいない。そうだ、今度はまた違う作家の訳で読んでみようと思い、田辺聖子さんの『新源氏物語』を読んでみることにした。ネット書店で購入しようと思ったが、蔵書を増やさないことにしているのだから、借りて読んでみて気に入ってからでもいいと気づき、市民館にリクエストした。

 

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通勤していたころと違い、家で読むのだからと1冊にまとまっているものにしたらこのボリューム!1178ページ。

 

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しかも小さな活字で二段組み!長い物語だもの、さもありなんというもの。

 

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美しい表紙で、見返しには金銀をちりばめた和紙が使われた豪華な本だけれど、痛々しくやつれ果てている。

 

田辺さんの訳は、「源氏物語 田辺聖子訳」でなく、「新源氏物語」となっているように、かなり意訳や省略がほどこされ、別な作品になっている。冒頭も桐壺についてではなく、「光源氏光源氏と、世上の人々はことごとしいあだ名をつけ・・・」と、いきなり光源氏の描写から始まる。

 

田辺さんは『源氏紙風船』という著書で、原作の脱落部分を「埋める」作業は、口語訳する時の最大の楽しみのひとつだったと書いていたし、作中の歌はできるだけ会話文の中に組み込み、思い切った意訳や省略をしたことも書いていた。たんなる源氏物語の現代語訳ではないことは知っていたので、読んでみないと手元に置きたいと思うかどうか分からないという不安は感じていた。

 

まだほんの十分の一くらい読み進んだところなのではっきりしたことは言えないが、たぶん蔵書にはなりそうもない。大変読みやすいけれど、私にはいささか興趣に欠けるように感じられる。一番初めに読んだということもあるからか、私にとっては円地文子版が好もしい。今読むとなぜこれを?と不思議に思うのだが、初めて読んだときにはこれでも現代語訳なのだろうかとためらったほど、難しく感じた。けれども、それだけ品格が感じられるような気がする。

 

登場するそれぞれ個性的な女性たちはともかく、私は光源氏も特に好きではないし、薫は優柔不断、恋のためにものも喉を通らなくなって衰弱死してしまう柏木にもイライラさせられ、『源氏物語』のストーリーはそれほど好きではないのだが、こんなに何度も読んでしまうのはなぜなのだろう。やはり千年読み継がれる魅力を持った作品であるということだろうか。