よんばば つれづれ

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老人会でパタカラ体操

今日は月に一度の老人会の例会。一人足が悪くて老人車を押して来る方がいて、雨が降ると来ることができず、先月は「欠席します」と電話をくださった。週間予報で日曜は雨ということだったのでずっと心配だったが、なんとか夕方まで天候が持って、その方も出席することができてホッとした。6時を回った先ほど、大きな音を立てて雨が降り始めた。

 

ここで顔を合わすことで親しくなり、お互いに体調の心配をしたり、ちょっと手助けのいるときに気軽に頼める関係が作れたらいいなという気持で行っている。そして参加してくれた方には、いくらかでも良かったなと思ってもらおうと、さまざまな機会に得たちょっとした健康や防災・防犯などの知識を伝えるようにしている。

 

メンバーの中に、健康な歯のための「8020(ハチマルニイマル)運動」で表彰されたことをよく話される方がいる。8020運動とは、平成元年から厚生省(当時)と歯科医師会が推進してきた「80歳まで自分の歯を20本残しましょう」という運動で、達成率が現在は51%を越えたそうだ。

 

そこで、これからは自分の歯を残すと同時に、噛む力や飲み下す力の維持・向上にも力を入れるということで、高齢者に「パタカラ体操」というのが推奨されている。パパパパパ、タタタタタ、カカ・・・という具合に5回ずつ順に発音し、これを3回繰り返すというもの。できれば毎回食事の前にするようにという。今回はこれを紹介した。

 

筋トレ・ストレッチ、温活ドリンクにこのパタカラ(実は口腔ケアの「アイウベ体操」というのもやっている)と、だんだんすることや摂取するものが増えてくる。けれども時間はたっぷりあるのだし、できるだけ健康でいられれば自分自身が一番助かるのだから、納得のいくことは取り入れ、そして続けようと思う。

 

長生きしたいとは思わないのだが、いつまで生きねばならないのかは神様しか知らないし、生きねばならない以上、なるべく今の状態を維持する努力はしようと思う。

 

 

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ネット上からお借りしたが、これ、間違ってる・・・。右端のおじさん、タタタタタって言ってるけど、ラララララですから!

 

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画像が小さいが、こちらの方が目的も正しいようなので追加する。

 

カントリープレゼンテーションと絵画展へ

今日の国際協力コスモス会はカントリープレゼンテーションで、メンバーのLさんによる「インドネシアの話」。

 

インドネシアはたくさんの島々からなる国だが、彼女のふるさとはジャワ島とティモール島との中間あたりにあるスンバ島。島によって言葉も違えば、文化や習慣にもずいぶん違いがあって、やはり日本で津軽弁と薩摩弁では通じないように、それぞれの言葉では通じないそうだ。コスモス会でいろいろな島の出身者が楽しそうに話しているのをよく見るけれど、そういうときは日本の標準語に当たるインドネシア語で話しているとのこと。

 

イスラム教の人は結婚前の男女がデートすることもないというので、学校はどんなだろうと思い質問したら、一般の学校は日本と変わらないとのことだった。ただイスラム教による学校は、やはり男女別々なのだそうだ。

 

そして学校は朝7時から始まり、途中休憩をはさんでお昼の12時か午後1時には終わるそうで、昼食は家に帰ってから食べるそうだ。やっぱり日本は学校による拘束時間が長いなと、私は改めて思う。それでも効果が上がっているのなら良いけれど・・・。

 

今日の話し手のLさんはご主人が日本人なのだが、途中からLさんとご主人がどうして知り合ったのかという話になった。スキューバダイビングが好きだったご主人がインドネシアにダイビングに出かけ、そこで働いていたLさんを見染めたらしく、7年くらいの間毎年ダイビングに通い、Lさんを射とめたらしい。もちろん、周囲の人々とも仲良くなって・・・。

 

現在はインドネシアに行くことがあってもダイビングは全くしないそうなので、7年も通ったのは、スキューバダイビング愛ではなく、完全にLさんへの愛、だったのだろう。Lさんもご主人のご家族にも大事にされ、お子さんが通う地域の学校のママ友たちとも仲良く交流している。

 

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今日は午後から友人数人でスタンディングの仲間の車に乗せてもらい、今週火曜日から開催されている”言い出しっぺ”のチャリティー絵画展に行く約束だ。楽しいインドネシアの話のあと、急いで帰宅して昼食を済ませ、迎えの車を待った。

 

昨年のPeace展から寄付をしている「3.11甲状腺がん子ども基金」へのチャリティーのスケッチ展で、プロ・アマの友人の作品も友情出品され、すでにかなりの作品に売約のシールが貼られていた。チャリティーということで、通常の作品展より求めやすい価格設定になっていて、私も欲しい作品があったが、すでに売約済みだった。

 

会場の画廊は喫茶店に併設されているので、絵を鑑賞した後はみんなでお茶とおしゃべりを楽しんで、また車で送られて帰宅。午前も午後も、楽しく優雅でありがたい時間を過ごさせてもらった。

 

 

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段ボールを利用したユニークな展示

 

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友情出品の作品たち

多数派の横暴を思い知る『コンビニ人間』村田沙耶香著

この世界は多数派の論理で回っているのだなという当たり前のことが、細胞で解ったような気分になる読書体験だった。

 

主人公の古倉恵子は、幼稚園児の頃、公園で青い綺麗な小鳥が死んでいるのに遭遇する。まわりの子供たちが泣きながらお墓を作ってあげようと言うなか、彼女は母親に向かって「これ、食べよう」と言い、周囲の大人たちを戦慄させる。

 

まずこのエピソードが衝撃的だった。恵子は愛情あふれる親の元で幸せに育ち、特別乱暴な子供でもなければ残虐な性向の子でもない。焼き鳥の好きな父親はきっと喜ぶだろうという、無邪気な気持ちで発した言葉だ。

 

このあと小学校でも同じような問題を引き起こし、高学年くらいになると周囲と自分の違いを理解し、問題なく生きていく最も合理的な方法を見つけ、必要事項以外口にしない子供になっていく。

 

そうして、友達はないものの特に苛められることもなく大学まで進み、ちょうど大学の近くにオープンしたコンビニエンスストアでアルバイトを始め、細かなマニュアルに規定されるコンビニ店員という役割は彼女にとって心地よく、「コンビニ店員として生まれた」と感じるようにさえなる。

 

この世界に初めて自分の安心できる居場所を見つけられた思いの恵子だったが、コンビニのアルバイト店員で5年、10年と過ごすうち、今度は女性がその年齢で結婚もせず正社員でもなく、「コンビニのアルバイト店員でいることがおかしい」と責められるようになる。

 

彼女は細やかなセンサーで周囲に溶け込む努力をし、迷惑もかけず問題も起こさず、コンビニ店員としては非の打ち所がないほどきちんと仕事もこなしているのに、世間一般と違うという理由で責められ、理解があった妹からも、結局「お姉ちゃんはなんで普通になれないの」と泣かれてしまう。

 

彼女は、自分の怠惰さからコンビニという職場を追われ路頭に迷った男を助けるが、「こちら側」の人間はそれをまた勝手にこちら側の論理で解釈し、自分たちの物差しに合わないと知ると、また糾弾を始める・・・。

 

 

この社会にはいろいろな人がいると頭では解っているつもりでも、人間は知らず知らず自分の常識で他者も計ってしまいがちだ。そしてその「いろいろな人」の「いろいろ」にも、自分の知識で自ずと制限がかかってしまう。本書の主人公のような人もいるのだということは、私にとってかなりの衝撃だった。

 

けれども衝撃的存在である「恵子」に、嫌悪感も湧かず感情移入さえしながら夢中で読み進んでしまったのは、主人公の描き方がうまいからだろうと思う。芥川賞作品をそれ程読んだわけではないが、結構難解だったり癖が強くてなじめなかったりすることも少なくなかった。そんな私の勝手な「芥川賞受賞作品のイメージ」にも、この作品は強い衝撃を与えてくれた。著者の他の作品もぜひ読んでみたいと思う。

 

 

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若い友人の赤ちゃんに会いに・・・

このブログにも何回か登場している、元の職場で一緒だった若い友人のHさん。去年の暮れに職場に会いに行ったときには産休に入ったところだったが、1月に無事男の子が生まれたと連絡をもらっていた。もう一人の若い友人Sさんが誘ってくれ、私の家まで車で迎えに来てくれて、Hさんのお宅まで赤ちゃんに会いに出かけた。

 

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上のお子さんはもう小6と中3とあって、二人とも優しくてとってもいいお姉さん。カフェで長居の記録を作るほどの私たちのこと、今日も話が弾んで夕食の準備に差し支えるのでは?と思うほど遅くなってしまった。心配で「夕飯の準備の時はおとなしく寝ててくれるの?」と聞くと、困ればお姉ちゃんたちがみててくれるとのことで、いくらかほっとした。

 

ちっちゃい子のいる家庭は忙しいだろうから、1、2時間で失礼しようと思って出かけたのだけれど、良き仕事仲間のHさんが休職中で、Sさんは職場のストレスがたまっていたようだった。いっぱいおしゃべりして、少しはリフレッシュできたのだといいけれど・・・。

 

それにしても、赤ちゃんのいる空間はいいなあと痛感した。体重は6キロを越えたそうで、2か月半ほどの赤ちゃんとしては堂々としたものだろうが、それでも大人の腕の中にすっぽり収まる小さな存在だ。なのに、赤ちゃんがいると部屋の雰囲気は一変する。やわらかな幸せな空気に包まれる。向かい合う者の心も、自然優しく穏やかな気持ちになる。

 

それなのに、そんな可愛い存在に対してネグレクトや虐待に走ってしまうというのは、不幸にも、よほどひどい条件がいくつも重なってしまうからだろうと思う。追い詰められてしまう前に、「助けて!」と言うことが許される社会、周囲が危険を察知して手を差し伸べられる社会になるといいのだけれど、時代はますます許容度をなくしていくばかりのような気がする。

 

腕の中のずっしりとした重み。見えているのかいないのか、澄んだ瞳でこちらを見つめ、ニッコリと微笑んでくれる愛らしい顔。「幸せ」というものに形を与えたら、こうなると思えるようなものだ。ヒトは誰もみな、ここから出発したはず・・・。

 

 

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                              1zoom.me のサイトからお借りしました

 

 

近ごろテレ東の深夜枠が面白い『きのう何食べた?』

録画したテレ東のドラマ『きのう何食べた?』の第一回を見た。面白かった。

 

小さな弁護士事務所の雇われ弁護士筧史郎(西島秀俊)と、美容師矢吹賢二(内野聖陽)。2人の日々を、史郎の作る夕食をメインに綴っていくらしい。彼は弁護士事務所を定時に出てスーパーで食材を買い回り(底値や店の特徴で使い分ける)、帰宅して手早く夕食を作りパートナーの賢二の帰りを待つ。流れるような手際に、こんなに簡単でこれほど健康的で美味しそうな料理ができるのなら、真似て作ってみようかという気になってしまう。

 

敏腕弁護士で、一か月の食費予算2万5千円としてきっちりパソコンで家計簿をつける史郎と、明るくてお茶目だけれどちょっといい加減な賢二。賢二は美容室のスタッフはおろか、なじみの客にさえも自分たちの生活について話す。一方史郎は事務所のスタッフにも自分がゲイであることを打ち明けていないことから、思わぬトラブルが起こる・・・というような話だった。

 

原作はよしながふみさんの同名のコミックで、講談社の「モーニング」で現在連載中という。『孤独のグルメ』と『おっさんずラブ』(この作品のみテレビ朝日)を合わせたような物語で、しかも豪華なダブル主演で、今後の展開が楽しみだ。

 

もうすぐ終わってしまうようだけれど、今もう一つ楽しみにしている深夜枠のドラマがある。『日本ボロ宿紀行』だ。芸能事務所をしていた父親の急死で、その後を引き継いだ娘春子が、昔ヒット曲を出したものの、今はすっかり落ちぶれている中年の歌手桜庭龍二と、売れ残っている大量のCDをさばくべく、各地を営業して歩くお話だ。

 

若いのに寂れた古い宿が好きな春子は、行く先々でボロ宿と言っていいような古い宿を選んで宿泊する。毎回あちこち(ロケ費用の節約のためか、だいたい関東圏)の実在の旅館やホテルが舞台となる。これが実にユニークで存在感のあるものぞろいで、ドラマの重要な味わいになっている。

 

なんだか日本中がつるつるピカピカ、つんつんトゲトゲしていくばかりのような現代社会で、ぽっかりと、いわゆる昭和的(ちょっと豊かになったけれど、まだ垢抜けるまではいかない頃)な、やわらかな異空間に迷い込んだような気持ちになる。そこで紡がれる人間模様も、同じようにあったかくてホッとする。

 

 

それにしても、テレビドラマの世界では、遅ればせながら、このところマイノリティーの登場人物が大活躍の感がある。俳優さんたちもそうした役どころをいきいきと魅力的に演じていることが多く、こうしてだんだん社会に受け入れられ、なじんでいくのかも知れないと思う。

 

考えてみれば、LGBTだけでなく、もっともっとルーツの違う人たちが出演する作品があってもいい。市井の庶民にすぎない私の一週間にさえ、ヒジャブを被った女性たちが登場する時代だ。ドラマにとどまらず、ニュースショーやバラエティー番組にも、当たり前のように様々な立場の人がいて欲しいと思う。

 

明日は愛知県議選の投票日。この世界は相変わらず男性中心で恐ろしく硬直している。結構年収は悪くないと思うが、愛知県の場合、55選挙区、定数102人のうち、26選挙区の41人が無投票で当選とのこと。毎日テレビで見るロールモデルもう少し魅力的なら、もっと立候補者が増えるはずだと思うのだが。

 

 

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いかにも清明な日、暮らしもますます清明に向かう?

今日は二十四節気清明春分穀雨の間にあって、「すべてのものが清らかで生き生きとするころ」とか。まさしくその定義にふさわしい、気持ちの良い日になった。

 

初孫が生まれた時、遊びに来た時のためにと、いそいそとベビー用の組み布団を購入した。少々遠いので盆暮れとせいぜいゴールデンウイークくらいしか帰省しないが、息子二人で、順当にいけば2人や3人の孫はできるであろう(決して口にはしなかったが)し・・・と考えてのことだった。

 

けれども、それから十余年が経過しても二人目の孫はできず、長男の所は最初の出産が結構大変だったこともあって一人でよいということに落ち着いた。結婚二年目で伴侶と死別した次男も、また縁あってパートナーができたが、平安貴族の通い婚状態なうえ、次男本人がダークグレー企業で忙しく(貴族とは程遠い!)、赤ちゃん連れで泊りがけで来られる日はなかなか来そうもない。

 

そんな状態だったため、張り切って購入した赤ちゃん用の布団はたいして出番もないまま押し入れで眠り続けていた。キッチンワゴンが超スピードで買い手がついたのに気を良くして、これもメルカリに出してみようかと、久々に押し入れの奥から取り出して見たら、数えるほどしか使わないのに、布団にシミができてしまっていた。

 

赤ちゃん用品なら需要も多いのではないかと期待したが、購入から年数もたっているため、ビニールの収納袋も古びてしまっていて少々出品するのは気が引けるため、モノには申し訳ないが、ゴミとして処分せざるを得ないと判断した。

 

わが市の場合、布団類は市に回収を依頼し、指定の日に規定の料金の証紙を貼って玄関先に出す。ベビー組み布団は500円なり。今日はもう一つ、使わなくなった大きなホットカーペット(一人暮らしなので、部分用の小さなもので間に合う)もお願いした。

 

金曜日の今日は国際協力コスモス会の集まりがあるため、回収ゴミを所定の場所に出したあと出かけた。新年度初日の今日はポットラックパーティーだ。昨年度の最後がインドネシアに帰るDさんのためのポットラックパーティーだったので、春休みをはさんで二回連続のパーティーとなる。

 

前回と違って、特に誰かの送別でも歓迎でもない今回のパーティーに、果たしてどれくらいの人が来てくれるか、ここ数か月の例会のように日本人のみ数人なんてことだと、パーティーもあまり意味がなくなってしまう・・・と心配したが、前日にフェイスブックで呼びかけたのも功を奏したか、インドネシアの人たちが声を掛け合ってくれたようで久しぶりの参加の人もあり、なんとか賑やかな会になった。今年度も和やかに交流を深めていけるよう祈りたい。

 

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このあと遅れてきた人もあって、お料理も人間も、もう少し賑やかに・・・。

 

 

来週は「こわすゴミの日」があるので、この日もまたひと山片付ける予定だ。ミニマリストにはとうていなれないが、少しずつ自分の求める簡素な暮らしに近づいてはいる。買うのは簡単だが、処分するのは難しい時代、これからは購入する時点でよくよく考えるようにしたいとしみじみ思う。

 

・・・などと言いながら、今寝心地の良いマットレスを買いたいと考えている。マットレスも、お金を出さないと処分できない面倒な品物なのだけれども。

 

 

アフガニスタンが近くなる『ソルハ』帚木蓬生著

ちょうど、少し前にペシャワール会から会報が届き、少雨と闘う中村医師たちの奮闘ぶりを読んでいたが、これはそのアフガニスタンを舞台にした、ビビという少女の成長物語だ。

 

ビビが5歳の頃の豊かなカブールのバザール(市場)の思い出から物語は始まり、希望にあふれて入学した学校で、ビビはロケット弾の砲撃によってクラスメートを失う。ソ連軍の去ったあとのアフガニスタンは、いくつもの勢力がひしめき内紛が絶えない状態だった。

 

やがてタリバンが制圧し紛争はなくなるが、コーランをねじ曲げて自分たちの都合の良いように解釈して圧政を敷くタリバンのために、女の子であるビビは学校に通うことが許されなくなる。大人の女性は目以外をすっぽり覆うブルカの着用を義務付けられ、男性の付き添いなしに外出することもできない。闘いこそなくなったものの、音楽も踊りも禁止という窮屈な暮らしを強いられる。

 

そうした中、タリバンの目を盗んで中学生の女の子たちに勉強を教え続けていたビビの母親は、タリバンに殺されてしまう。父親のもう一人の妻レザと、ビビの兄にあたるレザの息子たちと、母親の遺した教えに従って学ぶ意欲をなくさずに成長するビビが、15歳になるまでの日々を主にビビの視点で描く少年少女向けの物語だ。

 

始めのうちは子供向けの語り口に少々もの足りなさを覚えたが、一時期ニュースでしょっちゅう耳にしていたものの、私たちにはあまりなじみのない文化習慣のアフガニスタンという国が舞台なだけに興味をひかれ、だんだん物語に引き込まれていった。

 

「あとがき」で著者は、身近にいたアフガニスタンからの農業研修生の女性ライラを紹介する。ちょうど物語の主人公ビビと同じくらいの年齢のため、同じような社会的背景を持っていて、彼女は戦闘によって荒れ果てた故郷に、日本で学んだことを生かして昔のように、ザクロを始めとする豊かなフルーツの実りをもたらしたいと言う。

 

この実在のライラの登場は読者にいっそうアフガニスタンを近く感じさせるし、そのあとに収められた30ページにわたる「アフガニスタンという国」には、アフガニスタンや同じように紛争や混乱に直面している国に、日本がどんな援助をすべきかという著者の思いがあふれている。

 

イスラム教もアフガニスタンという国も、言葉としてはアメリカの同時多発テロ以来いやというほど耳にしているけれど、本当に知る機会は少ない。物語として楽しみながら、そこに暮らす人々の普段の暮らしぶりや考え方に触れられた。お子さんのいる方なら、一緒に読んで感想を話し合ってみるのも良さそうだ。

 

 

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例のごとく、お料理は写真に撮るのも忘れて、一晩で回復した胃袋の中へ・・・。

かろうじてデザートのみ撮影。本日の友人とのランチ会。