よんばば つれづれ

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頂き物のアドベントカレンダーとだいこん

楽しいアドベントカレンダーをいただいた。

 

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絵を拡大すると、

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そして、今日の窓を開けると、可愛い雪だるまさんが出てきた。

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すでに飾ってあったモミの木にピッタリ!

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アーモンドは大きさの比較のため。チョコレートが基本なのだけれど、時々こういったグッズが入っているみたいで、これから毎日窓を開けるのが楽しみだ。

 

 

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今週は見守りの当番。今までコンビを組んでいた方が高齢を理由に見守りのメンバーを抜けられ、今月から新しい方と組んでいる。85歳だけれど、2年ほど前までは野球チームで活躍していたという、まだまだとても元気なおじいちゃん。その方が、借りて作っている菜園で収穫したという大根を下さった。今夜いただく。大根おろしが美味しいそうだ。葉っぱも元気で美味しそう!

 

偲ぶこと、語ることが何より・・・

一昨年まで参加していたユネスコ活動に誘ってくださった方が、退院祝いの豪華なお花をもって訪ねてきてくださった。国際協力コスモス会もこの方が誘ってくださった。仕事をやめてからの私の世界を広げてくださった方で、こんなふうに明るく活動的に年を重ねていきたいと思う、素晴らしい人生の先輩だ。

 

私が入院する直前に、この方のお嬢さんが亡くなったと仲間から連絡が入った。乳がんをなさって、その後再発もありながら、十余年にわたってピンクリボンピアサポート活動に尽力した方で、何年か前帰省なさった折りに、豊橋駅前のスタンディングに母上とともに参加してくださった。明るい笑顔が美しく、とてもがんと闘っているとは思えない柔らかな雰囲気をまとった方だった。

 

子どもに先立たれるほどつらいことはないだろうと思うけれど、見事な人生を生ききって、たくさんの方に感謝され惜しまれていったお嬢さんの最後を、気丈に語ってくださった。ずっと一緒に暮らしていたらもっと喪失感を覚えるかもしれないけれど、結婚以来もう30年ほど遠い関東で暮らしていて、1年に何回も会えたわけではないから、いまだに向こうで暮らしているような気がするとも仰っていた。

 

たとえ肉体はなくなっても、お母様がこうして思い出している限り、亡くなった人は残された人とともにいると思う。そして思い出を語ること、偲ぶことが、何よりの供養だと思う。ピンクリボンなどの活動を通して知り合った日本中の人たちから偲んでもらうお嬢さんは、たとえ少し短くても、とても濃密で充実した人生だったと思うし、幸せな人生だったと思う。

 

私など、タラタラと無為に長生きしてしまいそうで心配だ。年の離れた末っ子の私は当然兄弟でも最後に残されるだろうし、あまり長生きすれば友人たちも皆いなくなり、偲んでくれる人も少ないだろうと思うとちょっと寂しい気もするが、ひっそりと静かにフェードアウトするのも一興か・・・。

 

 

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いただいたシンビジウム

 

またしても「猫バンバン」今年は進化形?

3年ほど前に「猫バンバン」というものを知り、去年の今頃もこれについて書いた。

またしても「猫バンバン」の季節です - よんばば つれづれ

 

 

少し前に、その「猫バンバン」の進化形のような記事を目にしたので、またしても紹介する。 

www.huffingtonpost.jp

 

確かに、うちのオーガストなども、もしこういう状況に遭遇したら、逃げ出すどころか、固まってしまいそうな気もする。やはりボンネットを開けて目で確かめてもらうのが一番だろう。

 

今日の夕方のニュースで、「江戸ねこ茶屋」を紹介していた。当初は夏だけのイベントだったらしいが、好評につき会期を延長し来年の1月まで開かれているという。江戸の雰囲気の中でたくさんの保護猫たちと遊ぶことができ、気に入った子がいれば譲渡してもらうこともできるそうだ(きちんと責任持って飼えるかの調査や、トライアル期間もあり)。 

 

edonekochaya.com

 

この頃、ペットショップで買うのではなく、保護猫の里親になるという選択肢についての発信が増えたようで嬉しい。早く日本も、ペットの店頭での展示販売を禁じる法律ができてほしいものだ。

 

11月には通信販売の数社から秋冬カタログが届いたが、嬉しいことに、今年はリアルファーを使用した服がほとんどなかった。「エコファー」という名称で、素材はみな化学繊維だけれど、写真で見るとリアルファーと見まがうものもある。これだけ良い素材を作る技術があるのなら、もうリアルファーなど必要ないように思う。

 

ペットショップで買ったペットより保護猫の飼い主になることのほうが、リアルファーを身につけるよりエコファーを着るほうが、「クール!」と受け止められる世の中になってほしい。

この間『ダーウィンが来た』でサイの密猟のことに触れていた。漢方薬の材料として高値で取引されるらしい。この他にも人間の欲得のために密猟され、絶滅の危機に瀕している生き物はたくさんいる。密猟する人はもちろん悪いが、高値でも欲しがる人間がいるから、法を犯しても獲ろうとする。そうしたものを所有することが、野蛮で格好悪いことと見られるようになれば、自然に需要は減り、密猟もなくなるはずなのだけれど。

 

 

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エコファーのコート(Clousetのサイトより)

動物の皮を着るより、う~んとカッコイイ!

ああ、二か月ぶりの豊橋駅!

台風禍の断水のためエビアンで顔を洗い、バスも走っておらずJR東海道線も運休というなか、大変な思いで聖隷浜松病院に出かけたのが10月1日。あれから約2か月の今日、果たしたい用事があって豊橋駅ビルに行った。退院後初めての、外出らしい外出だ。

 

熱心にスタンディングに参加していた頃には、駅前に週に3回も4回も行っていた。足の痛みがまだひどくなかった頃は、片道は電車を使わず、50分ほどの道のりを歩いて行ったりもしていた。電子マネーmanaca(地元の豊橋鉄道名古屋鉄道で使えるもの)を使うのも久しぶりで、最寄り駅の改札につくまでその存在を忘れていた自分に驚いた。

 

豊橋駅は改札が2階にある構造で、路面電車やバスを使うにしても、商店街に行くにしても、とにかく階段の昇降が多い。まだ階段は苦手なので、今日は足が悪くなる前は決して使わなかったエレベーターを使った。

 

市役所の用事と必要な買い物を済ませ、来年の手帳も気に入ったものを見つけることができた。まだ他にも探したいものがないわけではなかったが、あまり一度に欲張って歩きまわるのも心配なので、早めに切り上げることにした。駅ビルに行くと必ずと言っていいほど寄っていたカフェも、もうコーヒーの飲めない時間なので諦めて帰路についた。

 

ささやかな外出だったけれど、こんなことも嬉しく、いちいち新鮮に感じられる。我ながらおめでたいことだと思うが、でも、やはりこのありがたさを忘れないようにしたい。

 

 

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またまた届いたブログ友Hさんからのプレゼント、猫を織り出したストール。

猫のカメラマンとモデル猫。まわりを囲む肉球も可愛い!

いろんな味が楽しめるアンソロジー『隠す』アミの会(仮)

「アミの会(仮)」という名の、女性作家11人からなる会があることを、今回初めて知った。2015年に最初のアンソロジー『捨てる』(この時点では9名)を出版しているようだ。何作か読んで好きになった柴田よしきさんや、先日ブログで紹介した『わたしの本の空白は』の近藤史恵さんもメンバーのようだ。

 

今回私が読んだのはその会のアンソロジー三作目で、『隠す』という作品だ。11人の著者が、それぞれ「隠す」という共通のテーマで書いている。そしてさらに「あとがき」で、〈すべての短編には、共通の「なにか」が隠されています!さて、それは何でしょう?〉と読者に向けて挑戦状が提示されている。

 

可愛らしい物語から切ない話、はたまた少々後味の悪いものまで、11人11色のさまざまな作品が楽しめる。

理由・・・柴田よしき

自宅警備員の憂鬱・・・永嶋恵美

誰にも言えない・・・松尾由美

撫桜亭奇譚・・・福田和代

骨になるまで・・・新津きよみ

アリババと四十の死体・まだ折れていない剣・・・光原百合

バースデイブーケをあなたに・・・大崎梢

甘い生活・・・近藤史恵

水彩画・・・松村比呂美

少年少女秘密基地・・・加納朋子

心残り・・・篠田真由美

 

それぞれ面白いが、哀しすぎたり後味が悪かったりするものもあり、私はやはり柴田よしきさんの「理由(わけ)」が一番良かった。それからちょっと切ないけれど、「バースデイブーケをあなたに」は、毎年見事なバースデイブーケの届く、グループホームで暮らす90を過ぎた奈美子さんが素敵なおばあちゃんで、こんなふうに年を取りたいなと思わせてくれた。

 

「全作品に共通するもの」という読者への挑戦状に対する答えは、たぶんどなたも比較的簡単に見つけられると思う。

 

 

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退院後初回検診と息子との時間

昨日は退院後の初回検診の日だった。変形性股関節症で右股関節の人工関節置換手術を無事終えて退院してから約1か月。大分回復もしたし、退院時と違って大きな荷物もないのだから一人で大丈夫と言ったのだけれど、次男が車に乗せていくと譲らず、運よく休みも取れたからと、日曜日の夜に来てくれた。

 

幸い風もなく暖かくて穏やかなドライブ日和のもと、途中右手に遠州灘を眺めたりしながら、お世話になった聖隷浜松病院に到着した。

 

骨盤と下肢全体のレントゲンの2種類を撮影し、担当医の診察室に回る。両方の写真や足の動きを診られたあと、先生から「100点満点の回復具合です」との言葉をいただいた。まだ傷口のあたりにこわばりがあり、歩くときに膝の周辺に少し痛みを感じるけれど、それらは時間が解消してくれるようで安心した。

 

そのあと、退院の日にはあたふたして、病棟でお世話になった看護師さんにろくに挨拶もできなかったので、入院していた病棟に向かった。幸い私の担当だった看護師さんとお会いすることができ、お礼の気持ちを伝えることができた。

 

院内喫茶のタリーズで待っている次男の所に行き、帰路についた。帰り道、6のつく日で割引日のいつものスーパーに寄って、重さを気にせず買い物させてもらい、ついでに肴にする惣菜や寿司などを買い込み、家でゆっくり二人で飲んで(私は水だけれど)食べておしゃべり。思いがけず1か月という今までにない短いスパンで会えたけれど、この夜も相変わらずお喋りな二人は、日付が変わるまで話し込んでしまった。

 

一夜明けて、ほとんど昼ごはんのような朝食ののち、昼過ぎに息子は帰っていった。「退院の日は何だか頼りない歩き方で心配だったけど、今回は大分しっかり歩けるようになっていたので安心した」という言葉を残して。そうか、だから私がいくら無理しなくていいと言っても、来ると言ってきかなかったのか。自分ではもうちゃんと歩いているつもりだったんだけど・・・。

 

 

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老いては子に従え、猫はストーブの前!ってことね。  byオーガスト

 

 

応急救護所設置訓練と起震車体験

毎年11月の第四日曜日は、地域の防災訓練の日。去年おととしと「HUG」という避難所運営ゲームをしたが、今年は応急救護所の開設訓練だった。

 

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

大規模災害が発生すると、病院自体が被害を受けてしまうこともあるし、被害を免れても、軽度の負傷者までが殺到して、うまく機能しなくなることが考えられる。そこで、地域ごとに応急救護所を設置して、トリアージののち適切な規模の病院に搬送したり、軽度の人はそこでの対処で終わることができるようにするという目的で訓練する。

 

豊橋市の場合は、各中学校区ごとにその救護所を設置することになっているそうだ。通常は中学校がその設置場所になるのだろうが、私の地区の中学校は海抜が3メートル、もう一つの小学校は5メートル。それにひきかえ、一番規模は小さいながら、わが団地の隣にある小学校は海抜20メートルで、津波液状化の心配がほぼないというので、一次避難所に指定されており、救護所もそこに設置される。避難するにしても、救護所のお世話になるにしても、細い道路を横断するだけで行けるという、恵まれたところに住んでいる。もちろん、できれば避難もしたくないし、救護所も利用したくないけれど。

 

今日の訓練は9時から3時間の予定で、災害時の口腔ケア、起震車体験、応急救護所の運営の3つのブースをA・B・Cの3グループに分かれて回るようになっていた。

 

阪神淡路大震災関連の死者のうち、肺炎で亡くなった方が全体の四分の一だったのだそうだ。その原因として、避難所生活が長引くと、体力・免疫力なども低下して誤嚥を起こしやすい状態になっているところへ、水が自由に使えないことから口腔ケアがおろそかになって口中の菌が増殖し、その菌が誤嚥で肺に入ってしまい肺炎になるとのこと。

 

このところ急速にエコノミークラス症候群への注意が叫ばれるようになったのと同様、相次ぐ大規模災害で、口腔ケアの重要さも認識されるようになったようだ。なるべく少ない水で歯を磨く方法や、液体歯磨き使用で水なしでも清潔に保つ方法などが歯科医から紹介された。

 

応急救護所の運営では、受付担当や負傷者役・付き添い・トリアージ場所への案内係など、参加者がいろいろな役割を分担。まだあまり自由に動けない私は、地域の役員の方が配慮してくださったらしく一番動かなくて良い受付の記録担当だった。同じ受付でももう一人の方は、トリアージのタグをつけるため、負傷者が車椅子や担架使用の場合は机を離れてそばに行き、腕にタグをはめなくてはならなかった。テレビドラマで良く目にしているあのタグの実物を、初めて見た。できるものなら、一生黒や赤を付けられたくはないものだ。

 

そしてもう一つ、救護所とは直接関係ないが、市の起震車が1台来ていて、4人ずつ順次体験した。関東大震災・東日本・熊本と3つの再現地震と、緊急速報後のモデル震動などが用意されていて、私のグループは年配者ばかりだからあまりひどいと心配だからと、緊急速報後のもので震度6強までの体験となった。私はちょっと震度7を経験したいという好奇心もあったけれど、他の3人は私より年長だったので遠慮した。

 

起震車では、テーブルは固定されているし、脇につかまるバーも設置されていて、飛ばされる心配はないし、さあ来るぞと心の準備もあれば仲間も一緒だから遊園地のアトラクション気分だけれど、実際にあれほどの揺れにさらされたらと思うとぞっとする。この地域の、これから30年以内にマグニチュード8以上の地震が来る確率は80パーセントなのだそうだ。母の年齢まで生きれば私はまだ30年生きねばならず、その大規模地震に遭遇する恐れはかなり高い。くわばら、くわばら・・・。

 

 

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