よんばば つれづれ

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新春合同絵画展へ

おととしのスタンディングのPEACE展がきっかけになって、すっかり絵描きとしても忙しくなってしまった”言い出しっぺ”の参加している絵画展に出かけた。昨日行くつもりでいたのだけれど、レビューに書いた通り柴田よしきさんの本が面白すぎて止められず、外出を延ばしてしまった。今日は最終日なのでなんとしても!

 

迎えに来たタクシーに乗り込み、「馬見塚町のギャラリー茶房田園ってお分かりになりますか」と言うと、私と同じくらいかもう少し上かと思われる運転手さんは「?」という様子。案内はがきの地図を見せても首をひねっている。ベテランでいいはずの年齢ではあるが、転職して間もない方なのだろうか。

 

うちの団地を出るときにも「どっちに行けばいいですかねえ」と仰る。自慢じゃないが、めったにないほどの方向音痴の私に道など聞かないでほしい。それにしてもこの方で大丈夫なのだろうかと少々不安になる。ネットで調べた料金は2000円を少し超えるくらいだったので、それよりあまり高くなるようだったら抗議することにする。

 

それでも、なんとか予想の料金程度で目的地に到着した。やれやれ。カーナビもちゃんとついているのに、その機械を操作することさえおぼつかないのだろうか。この運転手さんに幸多かれと祈る。

 

ギャラリー田園はスタンディングの最初のPEACE展を開いた会場で、蔵を利用したギャラリーも別棟の喫茶スペースもなかなかいい雰囲気なのだけれど、車でない人には不便で、車の人には駐車場が狭いのが難だ。

 

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蔵を改造したギャラリー。この建物の左側に喫茶店の建物があり、内部はつながっている。

 

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ギャラリーと喫茶をつなぐ廊下の両側にも小部屋があり、向こう側の部屋は予約専用スペースで、壁には作品の一部が展示されている。こちら側は一般客用の席で壁にはぐるりとクラシックのLPレコードのジャケットが飾られている。店内に低く流れているのもクラシック。この写真の右側にギャラリーがあり、左側に喫茶のメインスペースがある。

 

作品は日本画あり油絵あり、”言い出しっぺ”の作品は水彩だ。展示数は多くはないが、心惹かれる作品も少なくなかった。

 

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廊下からギャラリースペースを望む。

 

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絵を鑑賞した後、ちょうどお昼時なのでモーニングの「パンセット(グラタン付き)」を注文。このお店はランチメニューがない代わりに、モーニングのメニューが充実している。スープはコンソメとポタージュから選べる。私はコンソメ。野菜たっぷりに桜エビも浮いていて、ポーチドエッグ入り。三種類のパンが美味しかった。コーヒーカップはいろいろなもので出されるが、今日は我が家にあるのと同じ、コシノヒロコさんデザインのシリーズだった。

 

帰りはウオーキングを兼ねて豊橋駅まで歩くことにする。PEACE展の時、名古屋から来てくださったwattoさんが駅から会場まで歩いたとブログに書いていらしたから、歩いても大した距離ではないはず。

 

店を出て、あのタクシーの運転手さんではないけれど、さてどっちに行ったものか。野生の勘(オソロシ・・・)でこっち!と決め歩き出す。大きな通りに出て、またしてもこっち!と選ぶ。しばらく歩くとバス停があって時刻表に「市民病院行き」とある。いけないこれは反対方向だ、とこれくらいは天才的な方向音痴にも分かった。回れ右をしてきた道を引き返す。

 

大きな交差点に出くわすたび、ときにドキドキしながら選び、ちょうど自転車の人が通れば聞いたり、スマホで調べたり(地図を見ること自体も苦手だけれど)しながら歩き、小一時間近く歩いたころ「豊橋年金事務所 500m」の表示看板を発見。ああ、やっと私の分かるところにたどり着いたとほっとした。年金事務所には60歳になった時年金の手続きで訪れたことがある。

 

こうして約8000歩(なんだたったこれだけなんだ)1時間ほどの冒険(おおげさ)が終了し、無事豊橋駅西口に到着した。

 

このあと駅前からバスに乗り、少し遅くなってしまった墓参りにも回ったので本日は1万3000歩ほど歩いた。1万歩以上歩いたなんて何か月ぶり、いや、1年以上ないかも知れない。さすがに少々足も痛いし、疲れた。これくらい毎日歩いているという方も多いことだろう。この程度で疲れるなんて、運動不足を痛感する。

粗忽者の読書 『フォー・ディア・ライフ』

別にこの物語が粗忽者の話というわけではない。読んだ私が、おっちょこちょいなだけである。

 

柴田よしきさんの作品、三作目。今回は『フォー・ディア・ライフ』という、無認可保育園の赤字を埋めるため、裏稼業であやしげな私立探偵をしている元刑事の園長が主人公という、かなり男臭い物語。いままでの地道でどこにでもいそうな登場人物たちとはずいぶん違う世界だ。

 

ところで、前の2作を読んで、私は著者のことを随分繊細な感覚を持った男性作家だなあと感心していた。ところが、今回は男性らしい作品だなと思いながら手にしたこの本の著者紹介文に、「きわめて注目される女流作家のひとりである」とあってびっくりした。「よしき」という名前から男性と思い込んでいたのだが、女性だったのだ。

 

それにしても、この作品では作風がガラッと変わって、東京の裏側、夜の新宿で働く女性たちのための無認可保育園をとりまく世界が描かれる。様々な事情でひとり親家庭になり、劣悪な状況で子育てをせざるをえない親たちや、不法労働しながら日本人との間にできた子供を育てる外国人女性たちと、無国籍のその子供たち。

 

ヤクザの親分の妾だった女性が作ったこの無認可保育園を引き継ぐことになった主人公の花咲は、捜査の過程で不運にも同僚の警官を射殺してしまった過去を持つ。不幸な女性たちのために良心的な料金で経営する保育園は、慢性的な赤字だ。それを園長の花咲が、体を張る裏稼業で稼いで補填している。

 

その裏稼業の仕事には、捜査の途中で探偵が一人消えている、裕福な家庭の中学生の少女の失踪調査や、高校中退の少年をヤクザの世界から救出するという危なげな依頼が入る。

 

ひとり親家庭や外国人の労働と、無国籍児を生みやすい日本の国籍法の問題など、現代日本が抱える問題をさりげなく物語に絡ませながら、同時に失踪した少女の行方やヤクザに追われる少年の安否、さらにその少年と親しかった高名な漫画家の秘密までかさなって、読み始めたら止められないほど夢中になって読んでしまった。

 

指を詰めるだのクスリだの無免許の医者だのといった、日の当たらない裏社会の要素ばかり詰め込んだ話なのだけれど、やはりこの作品にも前二作と同じ優しさと誠意があふれていて、読んでいる間も読み終わってからも、とてもさわやかな気分だ。

 

ただ、1998年発行のこの作品では、パソコンやインターネットを取り巻く環境が現代とは隔世の感があり、少し大げさに言えば、時代物を読んでいるときくらいの隔たりを感じる。いっそ、それらが全くない時代なら気にならないのだろうが、1998年というのはちょうど大きくて高価な携帯電話があったり、電話回線などでインターネットを使い始めたりしていた時代で、そうした描写が結構出てくるので、そのたびにああそうだったなあという感慨を覚えてしまった。

 

 

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粗忽ついでに、もうひとつ・・・。

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以前書いた、近所のスーパーで買う「石けんで落とせるファンデーション」は、「石けん」でなく、「お湯で落とせる」だった。こんなに大きく書いてあるのに、思い込みが激しいというか、もう、そそっかしい、おっちょこちょい、粗忽、としか言いようがない、呆れた私でした。

鬼門と虎の皮のパンツと明日インドネシアに帰国するKさん

新しい年の国際協力コスモス会は、先週「初釜」でスタートし、二回目の今日は「十二支(Chinese zodiac)」のお話だった。

 

十二支が方角や月・日・時刻などを表すことは、日本人のある程度の年齢以上の人なら大抵知っているだろうが、担当したUさんがいろいろ調べて来てくれて、私たち日本人でも初めて聞くことがあり、とても興味深かった。

 

人と人の相性も十二支で分かるのだそうだけれど、今日一番みんなが盛り上がったのは、鬼門が丑と寅の間の方角(北東)で、そこから「鬼」というそれまで実体のなかったものに牛の角を持ち虎の皮のパンツをはいた姿が与えられたという話だった。

 

「虎のパンツ」のくだりで一斉に「へ~~っ!」と声が上がり、「そうだったんだあ」「なっとく~」「ガッテン、ガッテン!」と大盛り上がり。インドネシアベトナムの人にもみな口々に説明を加え、来月にはちょうど豊橋の鬼祭りもあることから、その鬼祭りの話にもなり、鬼談議で話に花が咲いた。

 

ついでながら、豊橋の鬼祭りの鬼を良く知っているつもりでいたのに、誰も虎のパンツをはいているかどうかは知らず、インドネシアのDさんがスマホで検索した画像で確認すると、ちゃんと豊橋の鬼も虎の模様のパンツをはいていた。

 

今日参加した外国人はインドネシア出身の人が3人とベトナム出身の人が1人だったのだけれど、いくらか形は違っても、日本の十二支(これもルーツは中国)と似たようなものがあり、やはり同じアジアの仲間だという思いを強くした。

 

ご主人の留学で日本に来て3年暮らし、そのなかで二人目のお子さんの出産もし、明日インドネシアに帰国するというKさんが小さいお子さん2人を連れて参加してくださった。日本での楽しい経験と感謝の気持ちを伝える素晴らしい挨拶に、みな涙ぐんでしまった。Kさん、インドネシアでもお幸せに!

 

 

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十二支についての絵本を読むUさん。

遅れてきた人も何人かいて、今日は10人の参加でした。

 

 

 

 

 

 

 

人生の無情に触れる

毎年元旦に届いていた賀状が昨年届かず、気になっていた方がある。今年も届かなかったので、これはもう何かあったに違いないと確信した。

 

私が神奈川を離れるとき、とても残念がってくださって、「代わりにこれからはお姉さまとお付き合いさせていただくわ」と仰った。そして、その言葉通り、姉がギャラリーで開く刺繍作品展にも、自宅で催す定期的な作品展にも、都合がつく限り来てくださっていたという。

 

きっと姉なら最近の消息を知っているだろうと思い電話で尋ねると、なんとパーキンソン病を患っていらっしゃるとのことだった。それで筆をとることができなくなってしまったらしい。

 

 

四十余年前、東京の会社に勤めていた夫と結婚した私は、夫が見つけた小さいけれどちょっと広めの庭があり、後ろに川が流れているためとても日当たりの良い借家に住むことになった。そして向こう三軒両隣に引っ越しの挨拶に回った。

 

川沿いの我が家の並び(このため、のちに豪雨で怖い思いをした)に比べ、向かい側の家並みはかなりの高台になっていて、お向かいさんに伺うため階段を上っていくと、芝生の庭に小ぶりではあるがお子さん用のプールが作られたお宅だった。

 

玄関のチャイムを鳴らすと、気持ちの良い春の日だったこともあり、その芝生の庭に面したリビングの掃き出し窓が解放されていて、そこからお返事の声がした。それが、その方との出会いだった。

 

きめが細かくて色が白いその人は、素顔に口紅だけをさし、髪の手入れにかかる時間が惜しいからと小気味よいほどのショートカットで、キラキラ輝く瞳と歯切れのよい話し方で近所のお店や医院まで説明して下さり、今でもそのシーンがはっきりよみがえるほど、私に強烈な第一印象を残した。

 

玉川学園に通っている小学一年生のお嬢さんが私と仲良しになり、よく我が家に遊びに来たりしたので、その後も時々お話しする機会があり、話すたびに多くの刺激や学びをいただいた。

 

やがて私が長男を産んだ時には、親の反対した結婚だったため意地を張って里帰り出産をしなかった私に、じつに細やかな援助をしてくださった。夜中に病院に行く必要ができたら、遠慮なく連絡するように(我が家は車がなかったというか、夫は免許も持っていなかった)と言ってくれ、生まれると母乳の出が良くなるようにと特製のお弁当を病院に届けてくれ、家に戻れば赤ちゃんの沐浴に毎日通ってきてくださった。

 

ほしくてたまらなかったものの、初めての育児でともすると不安になる私を、「親が手をつないで歩いていても事故に遭うときは遭うの。それぞれその子が持って生まれる運命があるのだから!」と言ってくださったその言葉にどんなに励まされたことだろう。

 

布おむつを自宅で洗うのが当たり前だったころに、自分の時間を確保したいからとレンタルおむつを使い、専業主婦なのに一人娘さんを保育園に預けて読書やテニスを楽しみ、同居の母上やときには近所の方にも呆れられたと、ご自分の育児を話してくださった。主婦の井戸端会議に加わることは決してなく、でもお高くとまっているという印象は与えない。革新的で自分をしっかり持っていた。

 

私がUターンする夫に従って青森に転居した後も、折に触れ手紙や電話(舅姑と同居だったのでかなり神経を使ってかけてくださった)で心配してくださった。だんだん年賀状のやり取りだけになってしまったけれど、作品展などで姉の顔を見ると私の消息を尋ねてくださっていたそうだ。

 

聡明な人というのは、このような人を言うのだなとずっと思っている。とても大切な友人であり、尊敬する人生の先輩だ。

 

そのキラキラしていた方が、難病で不自由な思いをしているなんて・・・。字を書くことはできないが電話で話すことは大丈夫ということだが、それでなくても電話が苦手な私は、どうしようか、いま少々戸惑っている。まずはお返事無用と断って手紙をしたためてみようか・・・。

 

 

そして、今日は、今までスタンディングやじじばばの会の活動を一番記事に取り上げてくれて、不愛想ながら最も人間関係ができていた地元紙の記者さんが亡くなったという連絡が入った。心不全、58歳だという。

 

人生の無情を感じている。

 

 

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これは去年の2月中旬の梅園の白梅。今年はいつ頃ほころぶでしょう。

 

 

 

 

 

ひっそりと誠実に生きる日常の愛おしさ『桃色東京塔』柴田よしき著

昨日の民生委員の新年会のおかげで、今朝の定時の測定で体重が1キロ増えていた。落とすのは大変なのに、増えるほうはかくもあっけない。早いとこ調整しなくてはいけないのに、今日は今年最初の老人会で、ぜんざいをふるまった。お餅2個入りをしっかりたいらげ、減らすどころかますます増加してしまったかもしれない。明日の測定が怖ろしい。

 

さて、今年最初にご紹介する本は、市民館の企画コーナーで見つけたもの。昨年最後の本となった『春子さんの冒険と推理』の著者の作品だ。きっとまたほのぼのできるのではないかと期待して手に取った。

 

前作はプロ野球界に入るだけの才能はあったが、一軍にはいけないでいる夫と、優しく誠実だけれど特別美人ではない妻の春子さんの物語だった。

 

今回の物語の男女は警察という組織の中にいる。二人とも、キャリア組になれるような大学を出ているわけではなく、男性のほうは少々運にも恵まれて手柄が続き出世の階段を上りかけるが、不運なできごとでその道は閉ざされ、そのことがトラウマとなって、すっかり臆病な刑事になってしまっている。

 

女性のほうは職場結婚だった新婚の夫を殉職という形で失い、やはり心に大きな空洞を抱えながら生きている。

 

男性は警視庁勤務、女性は滅びゆきつつあるような故郷の過疎の村を抱えるI県の所轄署勤務ながら、二人はある事件の捜査で出会い、コンビを組むことになる。

 

二人とも飛びぬけて優秀な刑事ではない。特殊な仕事を別にすれば、どこにもいそうな若者たちだ。けれども、二人ともとても誠実だ。誠実だから、不器用にしか生きられない。どちらも、ちょっとした運命のいたずらで、周囲の関心や同情を引く立場になってしまった。そして、それに甘えることも利用することもできず、もがく。

 

こんな二人が出会ってからの日々を、いくつかの事件と絡ませながら連作短編集のような形で物語る。お互いに惹かれるものを感じながら、不器用な二人の恋愛は初恋の中学生のようにもどかしい・・・。

 

『春子さん・・・』のほのぼの感とは幾分トーンが違うけれど、期待を裏切らないまっすぐ生きる主人公たちと、周囲の人々、そして事件の顛末。小説やドラマのように華々しいことは起こらないけど、人生っていいよね、人っていいよね、という気持ちになる。なんでもない日常が愛おしく思えてくる、そんな気分にしてくれる作品だ。

 

タイトルはなんだか安っぽいお色気小説を連想させそうだが、乳がんの啓発活動のためにピンク色にライトアップされた東京タワーのことだ。ヒロインの故郷の過疎の村の名前は縹(はなだ、藍染めの色)村、その村の山でひっそり咲く山藤の藤色など、色も物語のポイントのひとつ。

 

 

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リニューアルオープンの竹島水族館へ

去年の11月に行きそこなったサンシャイン水族館には比べるべくもないが、元旦にリニューアルオープンしたとローカルニュースで報じられた、蒲郡竹島水族館に行ってきた。

 

チケット売り場の方が「ちょうどアシカのショーが始まったところです」と言うので、まずはまっすぐそのショーの会場へ。アシカのラブちゃんが、ボールを鼻で受ける演技の真っ最中だった。徐々に芸は難しくなり、鼻にボールを乗せたままあっちの台からこっちの台に移動したり、プールにも入って体を回転して見せたり、輪投げ・フープくぐり・ジャンプとすべてを見事に決めた。戸外でとても寒かったけれど、ラブちゃんの、芸を一つ終えるごとに、拍手してと言うように自分で手を(ヒレを)叩いて見せる姿がとても愛くるしくて楽しかった。

 

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ラブちゃん(同館のホームページよりお借りしました)。

 

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この水族館のスターの一角、タカアシガニ。全国の水族館への供給源にもなっているそうだ。かつてここで飼育していた、足を開くと3メートルくらいありそうな大きなものが、ショーケースに入って展示されていた。

 

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チンアナゴ

 

 

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魚たちのマンション

 

同館のホームページで謳う特色が「最近話題の深海の生き物は全国一の展示種数です(当館調)」であることからも分かるかと思うが、そうじて展示は地味だ。あちこちの水族館で話題になるような大量の魚たちの泳ぐ巨大水槽もないし、水中トンネルもない。けれども、職員手書きの説明プレートがたくさんあって、しかも飼育している生き物たちへの愛があふれていた。

 

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これは手書きではないけれど、「お魚から一言」という部分が楽しくて、つい一つ一つ見入ってしまい、そして対象の生き物に親近感を抱いてしまう。

 

 

今春には名古屋のレゴランドでも水族館をオープンさせるという。そうなれば、リニューアルオープンしたばかりの今はいくらかにぎわっても、きっとこの規模の小さな地味な水族館は客足が遠のいてしまうのではないかと心配になる。ホームページでも「館内はほのぼのとした雰囲気で、ゆっくり生き物たちを見ることができるアットホームな水族館です」と紹介しているように、大きくて華やかな水族館では得られない、ここならではの楽しさを少しでも多くの人に味わってもらいたいと思った。

 

 

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お昼は昔の土蔵を改装した古民家カフェ「ナチュラルキッチンせさみ」で、玄米旬菜ランチを。

 

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食後の飲み物は「黒ごまキナコ生姜茶」を選んだ。このほかにもフェアトレード無農薬有機豆のコーヒー・雑穀コーヒー・豆乳ラッシーと、興味を惹かれるものがいっぱいで迷った。器もみな温かみのある土物で、飴色の太い梁の古民家のインテリアとマッチして、心安らぐなかなか素敵なお店だった。

 

やっぱり良かった、石けんで落とせるファンデーション

(今日の話は多分男性には、いや、メイクアップをしない人には、関係ないであろう話です。)

 

 

若い方のブログで知って、以来すっかり気に入って使っている、石けんで落とせるファンデーション。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

最初はこれに書いた、若い方のブログで知ったETVOSというメーカーのものを使ったが、その後いつも買い物しているスーパーにも他のメーカーながら同等のものがあることに気づき、以来そこで手に入るものを使っている。

 

以前の油性ファンデーションの時から、横着な私はメイク落としも兼ねた洗顔料を使っていたので、べつにダブル洗顔していたのが一回で済むようになって楽になったというわけではない。でも、なんとなく、メイクしているときの「塗っている感」が軽いし、仕上がりは自然だし、フェイスブラシの汚れも少なくて、こちらにしてマイナスなことは一つもなかった。

 

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何か月使っても全くファンデーションがくっつかず汚れないブラシ。

 

じつは、前回の猫の映画のエントリをアップした後、またしても立っていられないほどのめまいと吐き気に襲われ、昼間から寝てしまった。夜には治まるかと思ったのだけれどかなわず、気にはなったがメイクを落とさないまま朝まで休んでしまった。

 

若いころにメイクを落とせないまま休んで、翌日肌の弱い私はかぶれてしまった経験があり、以来どんなに眠くても疲れていても、メイクを落とさずに寝たことはない。だから今回もかなり心配だったのだけれど、起き上がるとめまいと吐き気に襲われるので仕方がなかった。

 

それなのに、翌日も、翌々日の今日も、肌はなんともないのだ。石けんで落とせるファンデーションの素晴らしさの再確認となった。

 

理想は、すっぴんで髪も染めず自然のままで、年齢なりの良さを醸し出せる人になることだけれども、理想はあくまでも理想で、現実はなかなか厳しい。

 

若いころから簡単メイクだったため、なかなか引き算しようにも引く部分がない。最近は、なんとかうまく毛染めから撤退する方策がないかを思案している。メイクも一度始めてしまうとやめるのが難しいが、毛染めはそれ以上に過度期の処理が難しい。

 

『都庁爆破』の吉川晃司さんが、とにかく格好良かった。女性もあんな風に、白髪になって素敵!になれたらいいなあと思うのだけれど・・・。(イヤ、ソレハ白髪ダケノ問題ジャナイ)