よんばば つれづれ

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女優ミムラさんの「ミムラ」は・・・

先日録画したままにしていた『100分で名著』を見ていて、女優ミムラさんの後ろ姿の美しさに打たれてしまった。

 

男女の会話の部分の朗読で、川口覚さんが朗読しているのを、彼女はそばの椅子に座って聞いていた。その姿を斜め後ろからカメラがとらえていたのだが、シャキッと伸びた背筋から、ゆるく髪を結い上げたうなじに続くラインがバレリーナのようで、ドキッとするほど美しかった。

 

今まで、変わった名前で、柔らかな感じのきれいな女優さんだなと思っていただけで特に関心はなかったけれど、ひょっとしてバレーをなさっていたのかなと、にわかに興味が出て調べてみた。

 

バレーやダンスをしていたわけではなかったが、初めの仕事がモデルだったようなので、姿勢などのレッスンを受けたのかもしれない。それより私にとってプロフィールで一番印象的だったのは、芸名の由来だ。『ムーミン』のミムラ姉さんが好きで、それを取ったのだそうだ。

 

おもしろい芸名だと思ってはいたが、まさかムーミンが関係していたとは知らなかった。スナフキンさんには淡い恋心さえ感じていたものの、正直ミムラ姉さんは忘れていた。それなのに、なんだか勝手に、女優ミムラさんとの距離が縮まった気がした。

 

この『100分で名著』で、彼女の後ろ姿とともに、朗読の美しさにもうっとりしたのだけれど、文章を書くことが好きで、雑誌に書評やエッセーを書いていて、本も出しているそうなので、きっと言葉を大切にする人なのだろうなと納得した。

 

女優さんは人に見られる仕事だし、映像を通して自分の姿を客観的に見る機会も多いだろう。必然的に後ろ姿にも意識が届きやすいかもしれない。私は時々、幽体離脱して外から自分を眺めて見られたらいいのにと思うのだが、なかなか普通の人は自分の後ろ姿は分からない(そもそも、左右反転しない自分の真の姿を、自分が見られないというのはなんか納得いかない)。

 

美しいお手本を見ると、努力で近づけるところは少しでも近づきたいと、励みになる。年を取ると、思いはあってもあちこち痛みがあって、自分の体ながら意のままにならないことも出てくる。腰や股関節が悪いと、背中シャキーン!どころではない。外側や形をまねようとしても、日々の鍛錬で内側からきちんとしていかなければならない。

 

というわけで、今日も整骨院にマッサージに行ってきた。あと少し、になってからの痛みは、しぶとくてなかなか取れない。

 

 

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はねっかえりミイのやさしいお姉さん    (サイトよりお借りしました)

「サンシャイン水族館で魚大量死」のニュース

今朝インターネットにアクセスすると、いきなり「サンシャインで魚大量死」の文字が飛び込んできて驚いた。ここはずっと行きたいと思っていた水族館の一つで、ちょうど来週あたり行こうかなと計画していたところだったのだ。

 

大型水槽「サンシャインラグーン」で飼育されていた魚のほとんどが死んでしまったという。一部の魚の病気治療のためにゴミを取る機械を止め、その機械が酸素の供給も行っていたため、酸欠になったらしい。なぜ代替の機械を入れるなどの処置をしなかったのだろう。たくさんの魚が、苦しんで死んでいったのかと思うと悲しい。

 

営業は通常通り行うらしいが、いちばん中心となる大型水槽がスカスカでは寂しいことだろう。すぐに別な魚たちが補充できるのだろうか。人間が勝手なことをして楽しませてもらうのだから、せめて新しく連れてくる魚たちも以前からいる魚たちも、なるべく快適に生きられるように気を配ってほしい。

 

「年ごろ思ひつること」を果たすためにはるばる行くのだから、良いコンディションで見られるように、もう少し先に延ばすことにしよう。

 

 

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呆れてものも言えない・二の句が継げない・開いた口が塞がらない・・・

先週から、イヴァンカもトランプも見たくないので、ずっとニュースを避けていた。それでも、愛読しているブログや所属グループのサイトなどからも、さまざまな情報は入ってきて、なぜこんなおろかな首相の仲良しごっこに、貴重な税金をつぎ込まなければならないのかと、腹立たしい思いが沸き上がる(おまけに軍備を買う約束まで)。

 

そしてさらに腹立たしいのは、この騒ぎのなか、内閣の支持率が上がったというニュースさえ聞こえてくることだ。あちこちの国で、自分の国をトランプ大統領が訪れるとなると反対運動がおこるようだけれど、日本はほとんど歓迎一色だった。日本国内での第一歩から属国扱いの無礼極まりない訪問でありながら、首相からマスコミ、一般国民に至るまでこれほど熱烈に自分を歓迎してくれる日本を、トランプ氏はますます見くびったことだろう。

 

パックンが「パックンのちょっとマジメな話」で、「トランプお友達作戦」で安倍さん大丈夫?という記事を書いている。

www.newsweekjapan.jp

 

支持率は驚異的な低水準で就任以来成立させた法案はゼロのトランプ大統領と、どんな約束をしたとしても守られる確率は非常に低い。「また一緒にゴルフやろうね」程度の約束しか、あてにはならないよと言っている。

 

まあ、改めてパックンに言われるまでもなく、それくらいトランプさんが怪しいことはちょっと考える人なら分かることだけれど、当の首相やその側近たちの頭はどうなっているのか、そこが非常に理解しがたい。子供のない人はいても、みなさん天涯孤独ではないはず。自分の子孫たちの生きるこの国の未来をどう考えているのだろう。

 

あまりにも国民置いてけぼりの為政者と、そこまでコケにされても喜んでいる多くの国民に呆れてものも言えず、唖然、茫然、毒気にあてられ、脱力してしまいそうだ。

 

 

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猫だってツッコムときにはつっこむのだ!   (猫パンチのまとめサイトより)

 

 

プロの仕事と浴室壁の思い出

私の住んでいる集合住宅の浴室は、コンクリートの空間があるだけ、という実に簡素なものだ。そこに居住者の裁量で風呂釜や浴槽を設置することになっている。

 

大きいけれども不便だった婚家を出た後、息子たちと3人で住んだ弘前の借家が、お洒落で便利にできた快適な家だったため、今の家に入居した時にはがっかりすることが少なくなかったが、中でも浴室の殺風景さには悲しくなった。

 

そこで、せめて壁に明るい色を塗ることにした。高校生と大学生を抱え、一から出直した仕事でまだ収入も少なかった時だったので、塗料を買って自分で塗る計画を立てた。ところがいざ塗る段になると、長男がやると言って譲らない。

 

離婚以前から、母親である私を守らなければという意識を強く持っていたらしい彼は、3人の家族になってから、いっそう男の自分が大黒柱代わりにならなければという責任感を強く持っていたようだ。がんとして譲らないため私が折れて、長男に任せた。結果的に、私がしたよりもずっと丁寧な仕事になったと思う。

 

こうして、寒いなか息子が苦労して塗装してくれたおかげで浴室は気持ちよく明るくなったのだけれど、いかんせん素人のすること。何年かすると、あちこち剥がれて情けない状態になってしまった。

 

ちょうどその頃、ガス器具の点検に来た担当店の人が、新型のコンパクトな風呂釜に換えれば、スペースいっぱいの大きな浴槽が入れられますと勧めてくれたので、交換してついでに壁面の塗り直しもお願いした。

 

さすがにプロの仕事は仕上がりもまるで違ったけれど、それ以上に感心するのは持ちの良さで、10年以上経ってもびくともしなかった。

 

それでも一昨年あたりから、天井のコーナー部分などにいくらか剥がれが見受けられるようになってきた。まだまだこの先20年やそこらはここに住むのだろうから、そろそろ改修の時期だろうと思い、以前業者を世話してもらったガスサービスの担当店に依頼した。

 

その工事日が今日だ。前回はちょうど風呂釜や浴槽を交換するのと同時だったので、何もない状態で塗装できたが、今回はてっきりそれらを汚さないよう養生したうえで、塗れる部分だけを塗るのだろうと思っていた。ところが、朝、まず浴槽や釜を取り外しにガスショップの人が2人来て何もない状態にし、それから塗装の方が作業に入ったのだ。

 

つくづく、プロの仕事とはこういうものかと感心する。DIYの楽しさというものももちろんあるし、私はどちらかというと自分で工夫して暮らしを快適にするのが好きだけれど、餅は餅屋ということもあるなあと思うこの頃だ。

 

という訳で、ガスショップさんに、新たに台所の壁や床のリフォームの見積もりもお願いした。たのしみ・・・。

 

 

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こーんなワケにはいかないけどね。

肉筆の力 詩織さんと望月衣塑子さんから・・・

この夏、私の所属する「じじばばの会」では、前文科省事務次官前川さんたちに応援はがきを送ろうというキャンペーンをした。

yonnbaba.hatenablog.com

 

このはがきを受け取った詩織さんからはお礼の手紙をいただき、昨日地元の大学の学生自治会の招きで講演にいらした東京新聞の望月記者からは、その講演会に参加した人を通じて(内輪のイベントだったらしく、私たちは希望しても参加できなかった)喜びの声を聞くことができた。

 

詩織さんの手紙にも、肉筆のコメントの書かれたたくさんの葉書にとても励まされたとあったが、望月さんも、バッシングもいっぱい受けていたので、肉筆の応援がとても嬉しかったと仰ったそうだ。

 

前川さんには、先月下旬の浜松での講演会の際に直接手渡す予定で主催者にも了解を取り付けていたのだけれど、結局当日の運営の不手際でプログラムが大幅に押してしまい、ご本人と面会する時間が無くなってしまった。不本意ながら主催者に預けて帰るよりなかったため、残念ながらいまだちゃんと届いたのかご本人に確認はできていない。

 

今のところ前川さんにはお受け取りいただいたと信じるしかないのだけれども、詩織さんと望月さんの喜びの声を聞いて、改めて肉筆の力というものを感じている。おそらく2人には、インターネット上でもたくさんの励ましの声が届いたに違いない。「詩織さんを応援する会」というサイトも、「#望月衣塑子記者応援」というハッシュタグもあるくらいだ。それでも、きっと、一枚一枚に肉筆でコメントや名前が書かれた葉書は、格別だったのだろう。

 

これも考えついたのは”言い出しっぺ”だったのだけれど、つくづく、いい活動だったなあと自画自賛している。暑い時期に、街なかで喉をからして呼びかけた甲斐があった。さまざまな社会活動に、インターネットという便利なツールをうまく活用することはもはや不可欠のことだが、人が人に思いを届けようというとき、じかに顔を合わせるとか、肉筆で書いたものを届けるといったアナログの手段は、もしかするとデジタルな手段のなかった時代より、値打ちは増しているのかもしれない。

 

 

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文化の日の夕方の空。

散歩していたら、沈みゆく夕日がとてもきれいだったので写真をと思ったのだけれど、高い建物のない場所まで歩くうちに沈んでしまった。秋の日はつるべ落とし。

(「つるべ」を知らない人も多くなっているのだろうな)

 

インディアンサマー・老婦人の夏・小春日和の窓辺

二週続きで台風に見舞われた週末だったけれど、今週は好天に恵まれた。巷は三連休という方も多い。毎日が日曜日の私は特に連休だからといって出かけたりもしないけれど、気分転換に、孫へのはがきを投函がてらランチに行くことにした。

 

ポストのちょっと先で都合がいいので、先日行ったちょっきり1000円のランチのカフェにした。しかし、残念ながら日替わりランチは平日のみとのこと。すっかり日替わりランチモードでいたのであまり他のものに食指が動かず、なんとかオムライスを注文。

 

オムライスといえば、子供たちがいたときには3人分作るので焦ったものだ。料理は苦手で手際も悪いくせに、全員に熱々を食べてもらいたいので、オムライスのような一人前ずつ作らなくてはならないものは、少しでも先に作ったものが冷めないようにととても気がせいてしまう。それなのに「ごはんよ」と声をかけてもすぐ息子たちが来なかったりすると、腹を立てたものだった。

 

それも今は昔。もはや焦らずとも一人分作るだけなのだから、いつでもオムライスなど作ればよいようなものだが、なぜか一人になったら作らない。やはり喜んでくれる人がいなければ、作ろうとは考えないメニューだなあ・・・などと考えつつ待っていた。

 

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この前と同じ、一番奥の小さな中庭に面した席。床までのガラス窓からいっぱいに日が入って、コーヒーカップに当たっている。ぽかぽかした感じが嬉しい季節だ。

 

今日のような日を小春日和というのだろう。小春日和を北アメリカやヨーロッパではインディアン・サマーと呼ぶ。ドイツでは老婦人の夏、ロシアでは婦人の夏。イギリスにはセントマーチンの夏という言葉があるという。心地よい季節が、日本では春であるのに対して、ほかの国々では夏であるところが面白い。日本の夏は湿度が高くて不快だからだろうか。猛暑の多い近頃ならなおのこと、夏が心地よい季節とはとても思えない。

 

でも、花粉症の人の多い近年は、春もあまり快適な季節ではなくなっているかもしれない。

本好きにはやっぱり楽しい『お探しの本は』門井慶喜著

先日、いつも利用する市民館に行くと、書架の一角に「連作短編」というコーナーができていて、そこで見つけた一冊『お探しの本は』。殺人も刑事も出てこない、本にまつわるミステリーだ。

 

***出版社のサイトの紹介文***

和久山隆彦の職場は図書館のレファレンス・カウンター。利用者の依頼で本を探し出すのが仕事だ。だが、行政や利用者への不満から、無力感に苛まれる日々を送っていた。ある日、財政難による図書館廃止が噂され、和久山の心に仕事への情熱が再びわき上がってくる……。様々な本を探索するうちに、その豊かな世界に改めて気づいた青年が再生していく連作短編集。

 

本にまつわる物語といえば、真っ先に『ビブリア古書堂の事件手帖』が頭に浮かぶ。本に関するうんちくを楽しみながら、物語の登場人物もそれぞれ魅力的で、長いシリーズもまだ物足りないほどに感じる。

 

『ビブリア・・・』同様、この作品もライトノベルのような装丁(と言いながら、何をもってライトノベルというのか分かっていないが)ながら、意外に現代の図書館を取り巻く問題も含んでいて、読みやすく楽しいうえに考えさせるものもあった。

 

「図書館ではお静かに」「赤い富士山」「図書館滅ぶべし」「ハヤカワの本」「最後の仕事」の5つの物語からなり、毎回、レファレンス・カウンター担当の主人公和久山隆彦が、周囲の仲間の協力も得ながら、かなり難しい条件の本を探し出す。その過程に書物の周辺の興味深い話があり、また正解に辿り着く謎解きの要素も味わえる。

 

なかなか魅力的な敵役として、市の財政難を理由に図書館廃止を主張する人物が、図書館長になって登場する。この敵とも味方とも判別のつかない興味深いヒールと、和久山のバトルを続編でもっと読みたいものだと思うが、物語の最後で主人公は図書館から市の総務課企画グループに配置転換となってしまうので、続編は期待できないのだろうか。

 

 

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