よんばば つれづれ

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友人の「草カフェ」で県会議員さんと話す

私の「よんばばんち」と同じように自宅を開放して、暮らしの中の政治の話をする「草カフェ」という場を提供している友人の所に行ってきた。去年の秋から始めて、この何回かは市議会議員を招いて開催していたが、今日は県会議員を招いての第一回(とは言っても二回目、三回目があるかどうかは分からない。今日の方は地元出身の方ということもあって、つてがあったようだ)だった。

 

市議会と国会は分かるけれど、県議会というのはあまりよく分からない。存在感が一番薄い印象だ。参加者みな似たり寄ったりの気持ちを持っていた。

 

今日参加してくださった議員さんは、高校生の時に政治家になりたいと思い、苦労して早稲田大学(早稲田の「雄弁会」に入りたかったのだそうだ)に入り、卒業後は直接議員秘書の道に進むつもりが、周囲の人の助言で一旦会社員を数年経験し、そのあと地元に戻って県会議員に立候補したのだそうだ。

 

二度の落選という辛酸のあと三度目の正直で当選、現在三期目。最初から県会を目指したのは、自分のしたい仕事が県の扱う仕事だったからとのことで、今後も国政へというようなことは考えていないようすだった。市議会議員を足掛かりに県に、国にと考えている人が多いかもしれないが、それぞれは担当する仕事が全然違うので、そういう考え方はおかしいと言っていた。

 

主催者と5人の参加者の簡単な自己紹介のあと、2時間近く熱っぽく県政について語ってくれて、今まで印象の薄かった県会議員に対する思いが大分変った。愛知県の県会議員は102人、7万5千人に一人の割合だそうだ。これを多いと思うか、適正と思うか。

 

102人がみなしっかり仕事をしていれば多いとは言えないが、冠婚葬祭に忙しく地元まわりはしても、任期中に一度も議会で質問もしない議員もいる。それでもあちこちにしっかり顔を出して握手している人が、次もまた当選してしまうような選挙制度や選挙民の意識。人口の多い都市部は議員が多く、過疎地は代表を送れないような定数の割り出し方は、果たして問題ないのかなど、いろいろ考えさせられる話が聞けた。

 

愛知県はどうしても名古屋のある西の方に重点が置かれがち。東のはずれで距離的にはずっと静岡県の方が近い豊橋市は、県レベルで考えるとき見落とされがちだと言う。近頃しきりに「三遠南信」(東三河遠州南信州)の広域連合ということが言われるのだが、これもやはりそれぞれが自分の地域のことばかり考えがちで、なかなか本当に連携するのは難しいらしい。

 

民主主義は時間がかかるし、うまく使わないととても良いシステムとは言えない結果になる。以前は議事録を閲覧するのは大変な労力が必要だったけれど、現代はインターネットで簡単に見ることができるのだから、ぜひ選挙民の皆さんはこういうものに関心を持って、しっかり議員の仕事ぶりを評価してほしいと仰っていた。

 

一気に変わるとしたら、独裁制や中国のようなシステムになってしまう。時間がかかって面倒なのが民主主義、でも今のところ一番マシな制度なので、私たちも根気よく「よりマシ」な選択を積み重ねていくしかない。というのが、今日の結論だった。

 

 

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これは前回の「草カフェ」のようす。

 

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ガーデニングを仕事にしている友人の家は、さすが!の一言です。何もかも「よんばばんち」とは天と地の違い。(これは今日の写真ではありません)

マネキンフラッシュモブの真似事やら・・・

金曜日は夏休みを終えて約二か月ぶりの国際協力コスモス会だったのに、休んでしまった。まだお腹が本調子になっていないところにもってきて、休み明け最初の集まりはポットラックパーティーなのだ。本来なら国際色豊かな様々なものが食べられて楽しい日なのだけれど、まだ少々心配だった。

 

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これは当日参加したUさんが、グループのフェイスブック記事用に送ってくれたその日の写真。拝見したところスイーツが多そうな感じだ。ポットラックパーティーはだいたいスイーツや炭水化物系が多く(肉類はハラルで難しく敬遠されがち)、野菜物が少なくなる傾向がある。

 

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ポットラックパーティーを我慢した甲斐あって、かなり正常運転に近づいた土曜日、午後4時から駅前での「夏は終わっても加計問題は終わらないキャンペーン」の街頭マネキンフラッシュモブに参加した。たった30分だし、送り迎え付きで負担はごく軽い。

 

マネキンフラッシュモブとは言っても高齢者のすることゆえ、以前神奈川県の方で話題になったようなスタイリッシュなものができるはずもなく、単に「白っぽい服装で揃えてプラカードを掲げた」というだけの代物で、SNSなどで話題にしてもらえるようなものにするのはなかなか難しい。

 

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そして今日、日曜日。毎月第一日曜が団地一斉の清掃日なのだが、今月はその日が校区運動会だったため今日が清掃日だった。ああ、それなのに、私はうっかり失念し、しかも近頃7時台に目覚めることなどめったにないのに、今朝に限って目が覚めたら7時46分だった。キャーッなんてバタバタしていたせいか、外のみんなの気配にも気付かず掃除を欠席してしまった。無念、罰金500円だ。

 

この清掃罰金をめぐっての問題が持ち上がり、午後の老人会の前に何人かの関係者が集まった席で知らされた。私の組のことだったため私が話を預かり、当事者である組長に事情を聞くことにした。

 

夕方お宅を訪ねて話をすると、この方がフィリピンの方であるため言葉の問題も重なって、いくつかの小さな行き違いや誤解があったことが分かった。怒ってしまって組長をやめると言っているという話だったが、終始おだやかに話せて丸く収まった。

 

昨日マネキンフラッシュモブをしての帰り道、車の中で「たった数人のパフォーマンスでも、なかなか意思統一をしてきっちり決めるのは難しいね」という話が出て、「日本人同士で日本語で話しているのだから通じるはずだと思っていると、これが全然そうじゃないのよね」などという話をしたところだった。

 

日本人同士でもこれなのだから、まして言葉も充分に分からず文化的背景も違う外国の人とでは、誤解が生じるのも無理のないことだ。損得や体面やさらに複雑なものが加わる国と国との付き合いとなれば、どれほどの誤解や行き違いが生ずることだろう。そのたび喧嘩したり殺し合いをしているのでは、体や命がいくつあっても足りない。どれほど困難であっても、なんとか話し合い、理解し合い、歩み寄りあう道を探さなければならない。私たち自身も、国にそうした知的な振る舞いを声を大にして求めていきたい。

全編が宝石のように美しい『阿弥陀堂だより』

アマゾンプライムで『阿弥陀堂だより』を見た。映像といい物語といい、「美しい!」の一言だ。(注文の際に間違ってプライム契約をしてしまったらしい。せっかくなので大いに利用中)

 

もちろん、この「美しい」に素直な賞賛でなく、揶揄を込める人もいるに違いない。春夏秋冬、四季それぞれの山里の風景が描かれるが、雪のちらつく日はあっても雨の日はなく、まして長雨も豪雨もない。子供たちは群れてのどかな里で遊んでいるだけで、登校の大変さも学童の少ない学校の問題も出てはこない。地域の伝統の祭りを維持する悩みにも触れない。ただただ美しくのどかな山里暮らしだ。

 

都会の大学病院の優秀な医師であったらしい妻美智子は心を病み、夫孝夫のふるさとである信州の山里にやって来る。そこは無医村で、美智子は体に無理のない範囲―月水金の午前だけという約束で、保育園に併設された診療所の医師を引き受ける。

 

孝夫は昔から友人たちに「花見百姓」(桜に見惚れて田植えを忘れるような百姓)とからかわれていたような人物で、新人賞はとったもののそれから十余年、現在は鳴かず飛ばずの売れない小説家だ。

 

ガラス細工のような妻(樋口可南子)を、主夫業もこなしながら穏やかに優しく支える夫を演じる寺尾聰がたまらなくいい。こんなに温かく支えてくれる夫だったら、お金なんか稼げなくてもいい、私が何でもして頑張る!とつい思ってしまいそうな素敵さだ。

 

集落から少し離れたところに、村の死者たちを祀る阿弥陀堂があり、そこに96歳になるおうめという老婆(北林谷栄 助演女優賞、素晴らしい!)が一人で住んでいる。二人はしばしばこの老女を訪ね、そこで過去に罹患した喉の病気のため声を発することのできなくなった小百合と知り合う。小百合はおうめおばあさんの話を聞いてはエッセイにまとめ、村の広報誌に連載している。

 

この他にがんを患いながらいっさいの医療行為を拒否し、高潔で簡素な暮らしを続ける孝夫の恩師(田村高廣)とその妻(香川京子)、小百合の腫瘍が再発して運ばれる町の総合病院の医師(吉岡秀俊)など、周囲の人間たちも静かに描写されていく。

 

どうせ暇だからと広報誌の各戸への配布を孝夫は買って出て、一軒一軒配りながら近況を聞いたり世間話をしたりする。「ここにはいつから住み始めたんですか」という孝夫の問いかけに、ある主婦は「昭和22年から」と答える。「その前の年に引き揚げて来たので・・・」と。

 

孝夫の恩師の妻も乳飲み子を抱えて引き揚げ、その途中で子供を死なせている。夫はシベリアに抑留され、戦後11年たってやっと帰ってきたという経験をしている。長野県は日本一多数の満州開拓民を送り出した県だ(現在は豊かな農業県になっているが、戦前は日本でも有数の貧しい県だった)。そんなこともさりげなく描かれている。

 

春に転居してきた夫婦が、夏をそして秋を過ごしていくうち、妻は徐々に心身の健康を取り戻していく・・・。

 

小百合の腫瘍の再発や恩師の死などはあるが、あくまでも物語は何気ない日常を中心に静かに淡々と進んでいく。山里の美しい四季の風景や祭り・神事・農作業などを映し出す。自然に寄り添った人間の営みは、こんなにも美しいものだったのかと感動する。もちろん実際のそうした暮らしには、裏側にピッタリと不便さや大変さが貼りついているのだろうとは思うけれども。

 

これから、数は少なくなるだろうけれどこうした素朴な山里暮らしと、ますます合理化が進む都会暮らしの、二極分化のような社会になって行くのかも知れない。しかしその間に存在する捨てられていく過疎地はどうなっていくのだろう。日本の自然は人が手を入れてこそ美しさが保たれていることが多く、放っておけば荒々しいものになってしまいそうだ。いやそれとも、やはり山里は消滅してしまうのか。

私たちはどんな未来を選びとるのだろう。

 

 

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不思議や不思議

親知らずを抜いてからのこの一週間、ずっと体調不良だった。熱っぽく(でも検温すると熱はない)頭は重く体はだるい。そして普段安全速度の定期運行のものが、この一週間は不定期超特急運行だ。シャワートイレに直していて良かった(びろうな話ですみません)。

 

何か内科的な要因ということも考えられるけれど、とにかく起点が抜歯なのだからと思い、昨日予約を入れてデンタルクリニックで受診した。まだ抜歯した傷口が一部塞がっていないので、菌を減らすようにしましょうと、うがい薬をいただき、昨日の夕方からせっせとうがいを繰り返している。

 

すると、不思議や不思議。今日は熱っぽさ、頭痛、倦怠感が解消。痛みもなくなった。お腹だけは、多少軽くはなったものの、まだ解消には至らないが、ずいぶん体は楽になった。すると、この一週間の不具合は、すべて口中の菌の増殖が引き起こしていたということなのだろうか。

 

人間の口の中には(あの)害虫が持っている以上の多くの雑菌がいるとは聞いているが、通常はそれでも平気で健康に暮らしている。それなのに、歯を抜いたあとに残った僅かな穴のために菌が増えると、それだけでこんなにも不健康な状態になってしまうのか。人体のバランスの妙を痛感する。

 

もしかしたら、世の中の健康も同じかもしれない。雑菌をゼロにすることなどできないし、むしろそんな社会の方が異常で脆弱なのかも知れない。常に一定数の雑菌が存在しつつも、全体としては健康に機能する。ある割合を超えて雑菌が増殖した時、社会は不健康で危険な状態に陥る。

 

近頃の世の中を見ていると、どうもある種の菌ばかりが力を強めている気がしてならない。何事も多分バランスが大切なのだ。それなのに、そのバランスをとるべき片方の重要な構成メンバーが、こうまで、積み上げる重りを自ら崩してばかりいるのでは、天秤が釣り合う暇もない。

 

 

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バランスが大切! (「ネコメンデス」というサイトからお借りしました)

この国の在り方を根本から問う『日航123便墜落の新事実』

今年の7月30日に出版されて、昨日私の手元に届いたものは、すでに四刷となっている。著者は元日本航空客室乗務員の青山透子という方だ。2010年には『天空の星たちへ―日航123便 あの日の記憶』という本も出してみえる。

 

事故で犠牲になった客室乗務員は著者の先輩や同僚だったのだから、悲しみもショックも大変なものだっただろう。でも著者はそうした中でも、ただ悲しみに流されるのではなく、事件の真相に疑問を抱き続けた。誰かの都合で真実が隠されているのだとしたら、亡くなった方たちが浮かばれない。忘れないことと同じくらい、事故の真相を知りあまねく知らせなければ、そうして未来への教訓として生かさなければ・・・という思いで、さまざまな記録や関係者への取材をもとに前著を出版した。

 

その後、著者は群馬県上野村の上野小学校と上野中学校の子供たちによる事故後の文集の存在を知ったことから、いまこそこれらに光を当てなければいずれ風化してしてしまい、せっかく残してくれた人たちにも申し訳ないという思いに駆られた。また前著を読んだ人から新たな証言が寄せられたり、毎年慰霊登山をしている遺族から、事故現場で見つけた品物が送られてきたりで、再度事件の真相に迫る本著をまとめることになったそうだ。

 

第一章はスチュワーデスの視点からと政治家の視点、さらに日本航空の視点からみた事故について書いている。第二章は遺族の吉備素子氏の体験・記憶と当時の山下徳夫運輸大臣の記憶、そして各地で事故機とそれを追うように飛んでいたというファントム機などを目撃した人たちの証言をまとめている。

 

そして、第三章では、この本を書く大きな動機となった子供たちの文集が語る目撃証言と、横田基地を取材したときのノートの記録や、救助のため最初に事故現場に到着した消防隊員などの証言にある「ガソリンとタールの混ざったような臭い」についての科学的な調査と考察がまとめられている。

 

第四章ではこれまでの事実や証言、さらにアメリカ側の証言や事故当時の動きなども加えての検証や推論が展開される。

 

最後に終章「未来の目は見た」として、事故の起きた1985年8月12日の夕刻から深夜までの事実関係を日航123便の状況、自衛隊公式発表、米軍の動き、信憑性のある目撃情報の4つの観点から時系列に沿って表に整理している。これらのことから、一人ひとりがあの日いったい日航123便に何が起きたのかを、しっかり考えてほしいと訴えている。

 

なぜ事故機は墜落しなければならなかったのか。事故後早い時点で墜落地点は特定されていたにもかかわらず、翌日まで現場が特定できないとされて救助隊が派遣されなかったのはなぜなのか。現場で検死した医師によれば、救助が早ければ助かったかも知れないと思う、つい先ほどまで生きていた痕跡のある遺体が100体ぐらいあったそうだが、そうした人たちを助けるよりも優先して片付けてしまわなければならなかったものは何なのか。

 

事件当時も、何か底知れないような大きなものが動いている雰囲気を感じていたようだけれど、著者は今の世の中ははさらに心配な状況になってきていると指摘する。権力者は、自分たちの都合が悪いことは国民の命に優先しても隠そうと努める。その傾向はますます顕著になってきているのに、国民の方は真実を知ろうともせず、自分の頭で考えようともしない。

 

敗戦からは72年、日航機事故から32年。どれだけ時が経っても、この国は少しも変わっていない。やはりもっともっと大変な状況にまで行き着かない限り、目覚めないのだろうか。しかし、それでは事故ではなく事件だったかもしれないこの日航123便に乗り合わせて突然人生を終わらされた人々に申し訳ないのではないか。

 

始めに「この機に乗っていたのは524名の乗員乗客と犬1頭」とあったときから、ずっと私の頭を離れなかった一頭の犬のこと。最後にきちんと「あの日墜落した飛行機の貨物室にも犬が一頭乗っていた。飼い主と離れてゲージに入れられたその犬は、あの異常な機体の動きにきっと怖くて泣いていただろう。天国の虹の橋でご主人とやっと会えたことを祈る」とあって、いっそう涙を誘われたけれど、忘れずに犬のことにふれてくださったところに著者の優しさを感じた。

 

長年の渾身のデータ・証言集めの努力に感心するとともに、著者のどんな力にも負けず真実を追究する強い精神や周囲の人間に対する深い愛情が感じられ、フィクション以上に感動的なノンフィクション作品になっている。

 

 

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職業に貴賎なしと言うけれど

今日のTBS「報道特集」で、「障害のある受刑者~再犯を防ぐために 」というテーマを取り上げていた。いま刑務所に新たに収容される受刑者は減少傾向だけれど、知的障碍や精神病を抱える精神疾患のある受刑者は増え続けているのだそうだ(これも地域の繋がりが消え、社会に包容力がなくなったことと無関係ではなさそうに思う)。

 

多くの場合、家族もなく帰る場所もないこうした受刑者は、刑を終えて出所しても行き場がなく、数少ない優しくされた経験のある場所、三度三度食事の食べられる場所として記憶されている刑務所は、戻りたいところとなってしまうようだ。

 

こうした人たちに寄り添って、出所後の生活の支援をしているNPO法人ささしまサポートセンターの橋本さんという男性を中心に、元受刑者の新しい生活を支える人たちが紹介されていた。

 

せっかく快適な住居が用意されても適切な管理ができず、しばらくすると、部屋には物が散乱しアリまで這い回っている元受刑者の男性の部屋。橋本さんはそこを訪ね、夜具を片付けゴミを整理し、部屋の管理やお金の使い方を教える。近くのスーパーに一緒に行き、必要なものより、高価な果物を真っ先にカゴに入れてしまう元受刑者に、買い物の仕方も教える。

 

電車の乗り方も教えて、男性が自分の住まいからサポートセンターまで、一人で行くことができるように練習を繰り返す。自信が付くにしたがって、受け入れてくれる事業所で軽作業をするところまでが紹介された。こうしたことを続けるうちに、元受刑者の男性の顔つきがだんだん変わっていったと、取材した記者が言っていた。

 

 

職業に貴賎なしとは言うけれども、日々報道される、政務活動費を悪用する地方議員や、お友達や自分の仲間だけが甘い汁を吸える段取りをして、追及されれば記憶にないだの書類は破棄しただのと官僚に嘘を言わせ、他国へのいらぬ不安をあおって、国民の目をくらますことばかり算段しているような政治家たちの仕事に比べ、なんとこの橋本さんたちの仕事の尊いこと!

 

この番組の今日の特集のもう一つは、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典に、小池都知事が追悼文の送付を取りやめた件だった。どう屁理屈を並べても自然災害の地震で亡くなった方々と、そのあとの人間の悪意で殺された人々を、ひとくくりにしてしまうことには無理がある。

 

ここにも、東京都知事という大変な地位にありながら、尊さを感じさせる仕事のできない人がいる。職業に貴賎があるというより、その仕事に従事する人間の貴賎か。懲りずに何度も何度もヒトラーを讃えてしまって、世界中から顰蹙をかってしまう人もいる。

 

生まれながらに人間は不平等だと思うけれど、恵まれた環境に生まれ育ったはずのこうした方々が、必ずしも尊い人間になれていないのは、私のような下々の人間には、もしかして救いなのだろうか。いやいや、やはりそうした方々こそ高い徳を付けて、弱い立場の人々が救われる、尊い仕事をなさっていただきたいと切に願う。

 

 

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子供や動物は存在そのものが尊い(昔々の孫とドリーム)。

 

 

蛇足ながら、昨日今日と結局引きこもっていた。歯の方はだいぶ良くなったし、風邪も悪化はしていないが、まだなんとなくだるくて、本を読む気にもなれない。薬は毒と言っている私が、この2、3日はクスリ漬け(コワッ!)だった。鎮痛剤を使用している間、ふと気づくと、左足の外反母趾による痛みも右の股関節の痛みもほとんど感じない。痛みなく動ける軽やかさを久しぶりに味わった。薬を使わずに、この軽やかな体をもう一度取り戻したい!

 

 

泣きっ面に蜂

どっちが泣きっ面で、どっちが蜂か・・・。この2、3日少々風邪気味だった。大した不調ではないし、予約も入れていたのでおととい親知らずを抜いた。抜歯そのものは数分で簡単に終わったのだけれど、麻酔が切れたあとの痛みが結構辛い。おまけに昨日の夕方から軽い咳まで出始めた。

 

そんな訳で、昨日は中学生のNちゃんとの勉強の日だったが、休みにさせてもらった。去年の9月から始めたので、昨日でちょうど丸一年だ。この一年のうち、Nちゃんのインフルエンザや修学旅行などで中止になったことはあっても、私の都合で休んだことはなかったのに、とうとう休んでしまった。残念。歯痛だけなら鎮痛剤を飲んで実施することはできたのだけれど、週明けにはきっとテストがあるであろうNちゃんに風邪をうつしたりしたくなかった。

 

歯医者さんでもらった鎮痛剤3回分も使ってしまったし、サッサと寝てしまうのが一番と思い、昨夜は8時前には床に就いた。ところが、夜中に痛みで目が覚め、もうそのあとなかなか寝付けない。諦めて起き出し、買い置きの鎮痛剤を飲んで横になると、しばらくして効き目が表れたらしくいつの間にか眠って、次に目覚めた時は朝だった。

 

夜中に飲んだので今朝の9時や10時には鎮痛剤の効き目が切れるはずだけれど、そのあとは薬を飲まなくても我慢できる程度になり、今はほぼ痛みは無くなった。まだ右の下ほほがプックリしてはいるけれど。風邪の方もそれほど悪化してはいないので、なんとかこのまま治したいが、いかんせん、一昨日から噛まなくてもいいようなものばかり食べているので、ビタミンが不足していることだろう。

 

明日は『コスタリカの奇蹟』というドキュメンタリー映画自主上映会がある。以前から関心を持っていたコスタリカという国を知る良い機会だし、先日yporciniさんもブログで取り上げていらしてますます興味がつのり、近々見られると楽しみにしていたが、我慢した方がいいだろうか。

 

yporciniさんの『コスタリカの奇蹟』紹介のブログ

yporcini.hateblo.jp

 

実は、明日はスタンディングとじじばばの会の「夏は終わっても加計問題は終わらないキャンペーン」の、マネキンフラッシュモブの実施日でもある。スケジュールの重なった人が多く、参加者があまり期待できないようなので、これも参加したいところなのだけれど、なんとも間の悪い風邪ひきだ。夏風邪なんて六十余年の人生でもあまり記憶にないのだけれど、今年は私の周囲でもチラホラと耳にしたので、流行っているのだろうか。

皆様も、どうかお気を付け下さい。

 

 

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ご飯が美味しく食べられるって、ホント大事なこと!