よんばば つれづれ

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エイプリルフールネタ?「社会に満足」過去最高66%

「社会に満足」過去最高66%=防衛・外交、悪化の見方増す―内閣府調査

これは、今Yahooトップ画面のトピック欄に出ている見出しだ。嘘でしょ、あそうか、今日はエイプリルフールだからね、と思ったのだが、そういう遊び心ある話ではなさそうだ。時事通信の記事とのこと。

 

この記事に対するコメントの方は、現実感あふれるものばかりだ。いわく、「調査対象に偏りがありそうだ」「誰に調査したのかでずいぶん変わりそうだけど、上流層にとって日本は結構暮らしやすいと思うぞ」「調査は内閣府だもんね!霞が関での調査だろう? 」そして中には私と同じ「この数字を見た時はエイプリルフールのネタかと思いました」というものも。これが普通の人の感覚だろう。

 

中学校の武道に「銃剣道」を加えるというニュースにも驚いた。もう怖ろしい速さで時計は逆戻りし始めているようだ。自分は「逃げ切り世代」だと思っていたが、母なみに97歳くらいまで生きるとすればあと30年以上もあり、このスピードで戦前回帰が進むと逃げ切れない可能性も出て来る。cenecioさん(id:cenecio)ではないけれど、竹槍部隊を編成する日は近いかもしれない。

 

あな、おそろしや・・・。

 

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昨日載せ忘れた、お昼をとったレストラン「まあるいおさら」さん。この広々空間!入り口で昔の銭湯のような下駄箱(って、若い人は分からない?)に靴を入れて、気持ちの良い木の床をペタペタ歩くのもくつろぐ。こんな気持ちの良いお店で、友人とゆっくり食事を楽しみながら社会のことを論じられる、平和な日々がずっと続いて欲しい。

 

 

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サラダバーの元気な野菜たち。    (写真はどちらもサイトからお借りしたもの)

 

 

3.31東京の集会に連帯する気持ちで・・・

今日3月31日、東京では3つの集会・デモが予定されていた。新宿では沖縄の辺野古基地反対、首相官邸前では毎週金曜恒例の原発再稼働反対、そして国会前北庭エリアでは「未来のための公共」による「いまの政治、どう思う?」と題するものだ。3日ほど前に、私はスタンディングのフェイスブックページで、ちょうど金曜スタンディングの日でもあるし、連帯する気持ちで大勢の参加を!と呼びかけた。

 

今日はあいにくの冷たい雨となった。夕方には上がるだろうかと期待を抱いたが、出かける時刻になってもしつこくシトシトと降り続いていた。東京も雨だろうか、SPYBOYさんは官邸前と国会前のダブルヘッダーで参加なさるんだろうか・・・などと考えながら、頑張って出かけた。

 

駅前の人通りはなかなか賑やか。勤め帰りという雰囲気のサラリーマンも多い。豊橋ではプレミアムフライデーを実施するような大企業はないだろうが、3時終業はなくても、通常より残業を短く切り上げて飲み会、という職場もあったのではないかと思う。残念ながら、対照的にやはり雨のせいかスタンディングのメンバーは少なめ。15人ほどだった。

 

野党共闘を進める新しい団体も、ギクシャクしながらではあるが少しずつ前進はしている。昨日は先月開設したホームページとブログの相談のためとの声かけで集まった非公式の打合せに、2人ほど他の担当者にも出てもらい、少人数ながら20代から70代まで(30代だけいなかった)と幅広い世代が顔を合わせて、じつに闊達な話し合いができて楽しかった。

 

打ち合わせのために集まった場所はメンバーのK子さんのお宅だったのだけれど、それが何百坪もあると思われる広い敷地に立つログハウスで、ガーデンプランナーをしているK子さんだけにお庭もとても素敵に設計されていた。今はまだ花の少ない時期だが、バラの花が咲くころに行ったらさぞみごとなことだろう。

 

そのログハウスの広いリビングでお茶やお菓子をいただきながら楽しい打ち合わせをして、お隣にあるレストランが空いた頃合いを見計らって、時間のある人だけ一緒にランチをとった。その店がまた非常にゆったりとした空間で居心地がよく、健康的な野菜たっぷりで料理も美味しく、昨日のミーティングをいっそう豊かなものにしてくれた。

 

旧来型の理論武装大好きのおじさま方の満足も図りながら、女性や若い世代を中心に新しい柔らかな活動もじわじわと進めていくという戦術をとることにした。ガンディーは「良きことはカタツムリのようにゆっくりと進む」と言っている。

 

ガンディーには程遠い愚かで短気な私はすぐ席を蹴ってしまおうとするが、できた先輩女性に「社会活動は民主主義の学校、いま私たちはまさに民主主義を学んでいるのよ」と諭された。今まで、立派な運動をしている団体がなぜ一緒にうまくやっていけず、分裂してしまうのだろうと思っていた。自分たちがその轍を踏んでしまうのもつまらない。

 

 

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我が家のティータティータは終わってしまったが、K子さんちの庭ではまだ咲いていた。(写真は何年か前の我が家のもの)

 

 

痛痒さの原因はなんだろう

今日のNちゃん、私が説明しているとき、聞きながらしきりに眉のあたりをいじっている。この前コンタクトレンズの調子が悪くて・・・ということがあったので、またそうなのかなと思ったら、「ここ数日眉のところが痛痒くて、今日は特に痛くて気になって辛い」と言う。

 

見た感じはちょっとニキビが集中してるのかなというふうなのだが、ニキビと違ってカサカサしていて皮膚がペリっと剥がれるのだそうだ。今までにも何回か同じ症状が出たことがあって、不思議なことにいつも同じ場所―左の眉がしらのあたりなのだと言う。

 

触るとよけいにひどくなるよと言うと、とても我慢できなくて触らずにいられないと言う。今日はもうとても勉強に集中するのは無理なようなので、区切りのついたところで終わりにして、眠るのも難しいかもしれないけれど、なるべく眠って忘れようということにした。できれば無意識にひっかかないように手袋、それも木綿の手袋をして寝るように言って終わりにした。

 

早く明日になって欲しい、皮膚科に行く、と言っていた。発症する場所は一定だけれど、その時期、季節は同一ではないらしい。いったい何が原因なのだろう。何かにかぶれているのならいつも同じ場所ということはないだろうし・・・。

 

Nちゃん、うまく眠りにつけて、痛痒さから解放されていますように・・・。

 

 

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アタシもオデブな頃、お腹を引きずるのでお腹の毛が無くなって、そこにトビヒみたいな傷ができて夏になると悩みましたっけ・・・。

もう、皆さんご存知でしょうが、この赤白ギンガムのパンツは、お腹保護のためのオカーサンの苦肉の策です。  byドリーム

 

また新しい体験、市議会の傍聴

せっかく平日にたっぷり時間が持てるようになったのだから、市議会の傍聴に行ってみなくては・・・と思いながら、すでに4年が経とうとしている。

 

そして今日、とうとう出かけた。人生初の体験である。当市では、今の定例議会に議員提案で「家庭教育支援条例」なる案が提出され、以前から「子どもの権利条例」の制定を求めて活動している知人から、これは政府の道徳や家庭の役割を義務付ける考えに迎合したもので、非常に問題だと思うとメールをもらっていた。

 

ネット上でその条例案を探して目を通したところ、「子どもは社会の子どもである」とか、「親になったからには、親としてのありかたなどを学ぶべきで、行政はそれを支援する」といった内容で、それ自体は悪いことではないように思った。

 

私は以前から「自分の子供をどう育てようが親の勝手」(だから虐待やネグレクトにもなかなか踏み込めない)という考えには反対で、「社会の一構成員を育てている」という意識を持つべきだと思っている。親として学ぶこともとても大切だと思っている。

 

自民党憲法草案のように「家庭で助け合うべし」と、頭から家庭単位で存在することを当然としている訳ではなく、「子どもを持ったからには」「親になったからには」という前提であれば当然のことだ。ただ問題は、実際の運用面でどのような親としての在り方を示すのかが重要になって来る。

 

結局よく分からないまま、この条例案は今日の議会で圧倒的多数で可決されてしまったので、今後は、知人や共産党市議たちが懸念している「親学」のような時代錯誤の方向に誘導されないよう、目を光らせていかなければならない。

 

 

それにしても、市長は議会が始まるやいなやお昼寝に入り、一時はかなりの爆睡ぶりが見てとられた。後方に居並ぶ役所のお歴々の中にも上司を見習っている方々が・・・。議員たちは傍聴席からは後ろ姿なので分からなかったが、議事の進め方も台本通りといった体で、緊張感はまるでなし。これなら互いに文書を交換し合うだけでいいんじゃない、という気がした。この一日でいったいいくらの税金が使われているのだろう。よく言われることだけれど、しみじみ、もっと議会の傍聴に足を運ばねば!と思った。

 

 

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市議会のホームページより。女性が少ない!さらに、行政側はゼロ!

仮想現実の旅

 

春の憂いか、このところ何となく気持ちが沈むので、この出不精の私が、思い切って旅に出てみようかという気になった。いや、「旅」というほど大げさなものではない。気分転換に、ほんの一泊ほど投宿してみようかと。

 

じつはお正月がひとりと分かったとき、どこかの温泉でのんびり除夜の鐘を聞くのもいいなと思ったのだけれど、すでに大晦日まで数日を残すのみの時点で宿などある訳もなかった。年中日曜日の身なのだもの、無理に混雑する年末年始に出かけなくても、シーズンオフにゆっくり行けばいいやと諦めた。

 

で、寒さも和らいできたことだし、そろそろ腰をあげないと、今度はゴールデンウイークにぶつかってしまいかねないと、昨日からネットで調べ始めた。ところが、めぼしいところはすでに4月も平日まですっかり埋まっている。私が見ているその瞬間にも、「今〇人の人が検討中です」とか「〇人が予約しました」とかメッセージが表示されるのだ。こんなにも多くの人が、今この瞬間も旅行を計画しているのかと、めったに旅行のサイトなど覗くことの無い私は驚いてしまった。

 

いまだ目的地も日程も決定できずにいるが、それでも昨日から今日にかけて、パソコンの中で、しばし楽しいバーチャルトラベル気分を味わった。最後に泊りがけで出かけたのはいったい何年前のことだろう。息子夫婦からの還暦祝いの旅行の提案を、結局猫たちが心配で「ドタキャン」してからでも間もなく6年になるのだから、実際に泊りがけで家を空けたのはさらに何年か遡ることになる。

 

それにしても、旅の道中は一人もいいだろうが、やっぱり食事のときは、楽しい相手がいた方がいっそう美味しく食べられそうだ。豪華な料理を一人で食べるのは、ひときわ物足りなさを覚えそうな気がする。だからと言って誰か友人を誘ってと考えると、日程の調整やらなにやら少々面倒な気もしてしまう。

 

はてさて、一人旅か道連れを作るか、海か山か・・・。文化を楽しむか自然を満喫するのか。もうしばらく仮想の中での旅になりそうだ。

 

天国のお婆さん猫たちも、私が旅行をする気分になったことを、笑って見ていてくれるかな・・・。

 

 

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これは10年以上前に出かけた信州。このちっちゃな孫が4月には高校生だ。

5か月待った本なのに・・・

10月に市民館にリクエストした本が先日やっと届いた。読んでみると確かに読みやすく適度に興味も引くので、あっという間に読み終えた。

 

けれども、ちょっと言葉遣いに引っかかるところがあり、サラッと読んでしまえばそこそこ良いお話だったのかもしれないが、その「引っかかり」が物語に酔うことを許さなかった。どちらかというとファンタジーとも言えるような作品なので、かえって小さなキズの与える影響は大きいかもしれない。こういう話ほど、うまくだまし通してくれないと、その世界に陶酔することは難しい。

 

ヒロインは小さな文具店をしながら同時に代書業をしている若い女性だ。事情があって母を知らず、ずっと祖母に育てられたのだけれど、その祖母は孫を立派な代書屋の跡継ぎにするため、美しい文字を書くことにとどまらず、言葉遣い、箸の上げ下ろしなど、日常生活全般にわたって非常に厳しく育て、そのことが物語の重要な要素にもなっている。

 

そうした設定であるにもかかわらず、ヒロインの言葉として「今日はお客もこなさそうなので」などというくだりが出現したので驚いてしまった。「笑わなそう」「行かなそう」と同じく、ここは「お客もこなそう」となるところだ。

 

さらに、その大変に厳格だったはずの祖母が、友人に宛てた手紙に「あの子(孫のヒロインのこと)を自由にしてあげたい」などと書いていたのでは、祖母の像がガラガラと崩れてしまう。そして、こんなことが気になりだすと、もうあれこれ細かなことに気が散ってしまってとても浮世離れした物語を楽しんではいられない。

 

本来なら、これらは編集者によって正されていたことだと思う。優秀な編集者や校正者が少なくなったということもあるのだろうが、それ以上に出版界が長い不況の中で売上第一主義になってしまい、売れる作家にはあまりうるさいことが言えなくなってしまったのではないだろうか。

 

その結果、言葉遣いの間違ったおかしな本が大量に出版され、人々はますます良い文章に触れる機会が少なくなっていく。テレビやインターネットなど、周りから目や耳に入るのはさらに乱れた日本語で、それらを見慣れ聞き慣れてしまって、「あれ、なんか変だぞ」と気付く感覚はどんどん低下してしまう・・・。

 

以前読んだ同じ作者の作品はどちらも結構好きだったし、長く待ったぶん期待も大きくなってしまっていたので、かえってそれが災いしたのだろうか。

 

 

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アタシはけっこうジユーホンポーに育ちました。(パソコンの上で舟をこぐドリーム)

 

学校が「田んぼ」ならそこで育つ児童は・・・

昨日、今日とテレビっ子になっている。とりわけ昨日は、誰もがテレビはまだまだ捨てたもんじゃない、と思ったのではないだろうか。もちろんテレビでなくても、インターネットの中継でも同じだろうけれど、とにかく映像というのは驚くほど多くの情報を見る側に届けてくれる。

 

いままで「なんだかうさんくさい関西のおっちゃん」だったのに、国会で堂々と証言する籠池氏のインパクトは強烈だった。そして、それは真実を言っている強さだと感じさせた。この人の教育方針はとんでもないし、学校新設のためにとった手段は上品だったとは言い難いけれど、腹をくくって証人喚問に応じ、衆人環視の中で証言したのは立派だ。

 

それにひきかえ、恫喝のような口調で質問した与党議員も、かたや偽証罪というリスクを背負って証言台に立った相手に対し、その人の証言にフェイスブックなんぞで反論したファーストレディも、実にみっともない姿をさらしてしまったように思う。この上は昭恵夫人も、ぜひ証人喚問の場で、正々堂々と自分の言葉で語って欲しいものだ。

 

それから、あまり誰も触れていないようだけれど、籠池氏の話に出て来た、昭恵夫人が建設予定地を氏とともに視察した時の「良い田んぼができそうですね」という言葉が、私は気になった。学校を「田んぼ」に例えるということは、そこで育つ子供を米、つまり自分たちが利用する便利な「作物」ととらえているということで、その感性が不愉快でならない。

 

今日は一転して官僚たちが参考人として招致されたが、予想通りの知らぬ存ぜぬで押し通す。けれども顔つきを見ていれば、誰のどの言葉が虚偽であるかだいたい察しが付きそうだ。百聞は一見に如かずというが、本当に映像の力は大きい。あの人は嘘の苦手な正直タイプ、この人は平気でしらを切る腹黒タイプ・・・などと品定めまでできてしまう。

 

夕方金曜スタンディングに行ったら、ある人は「もう政府は瓦解寸前だね」と言うのだが、いっぽうでまたある人は「もっと大物の名前が出るかと期待したけど、中途半端でうやむやに終わりそうだね」と言う。同じものを見ていても、人の受け止め方とは違うものだなと改めて感じた。

 

政府、与党はなんとか早く収束させようと焦っているようだが、これで終わりにされてはとうてい納得できない。ここはやはり相手側の関係者も、同じ証人喚問の場で説明してほしい。国民はそれを望んでいる、ということを示さないと、またぞろ力任せに強引な幕引きとなりかねない。全国で同時多発的に声を上げるとかできないものだろうか。

 

などと書いていると、危なくなってくるのだろうか・・・。

 

 

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Peace展の拙作 ー「命を見つめる」という題で短歌三首ー

母のいた部屋猫のいたバスケット私は居間にいるのだろうか(郷土文芸作品展出品作)

ピシピシと家の発する音を聞く猫の気配の消えたしじまに

四六時の自由な時間手に入れて護る命ある幸せ思う