よんばば つれづれ

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こんな映画が見たかった!『ラ・ラ・ランド』

この間『スノーデン』を見た時の予告編で『ラ・ラ・ランド』を目にし、これは絶対見よう!と心に決めていた。どんなストーリーなのかも知らないまま、2月24日と封切り日をしっかり頭に刻み、初日に見ようと決めていた。

 

昨日の金曜日はコスモス会の日なので、そのあと大急ぎでお昼にして、午後の一番で見る予定にしていた。ところがこういう時に限って、「このあと都合のつく人はランチに行きませんか」と声がかかり、フレンチレストランにつられてついランチに参加してしまった。

 

今日も午前は「穂の国の音楽マエストロたち」の最終回の講座があったが、今日こそは一目散に帰宅し、昼食を済ませてすぐ映画館に向かった。

 

 

というわけで、予定より1日遅れになったけれども『ラ・ラ・ランド』を見た。予告編の雰囲気で勝手に50年代か60年代のアメリカが舞台と思い込んでいたが、どうやら現代のお話だったらしい。

 

「らしい」というのは、ヒロインのミアがスマートフォンで話していたり、彼女の車がプリウスだったりしたからで、そうしたことを除けば、いつの時代の物語かあまりはっきりしない。ヒロイン始め出てくる女性たちの髪型や服装も、背景の建物やインテリアの雰囲気、そして画面全体の色遣いなど、すべてがなんとなく懐かしいという気持ちをかきたてる。

 

そして懐かしいと言えば、なんといってもこの映画全体の作り方だ。かつてミュージカル映画が大流行し、人々の記憶に残る名作がたくさんある。それらを彷彿とさせる場面の数々・・・。見終わってから調べたら、やはりデイミアン・チャゼル監督(なんと32歳だそう!)が、往年の名作ミュージカル映画へのオマージュの気持ちを込めて作った作品らしい。

 

これからご覧になる方々が多いと思うのでストーリーにはあまり触れないでおこうと思うけれど、見終わった時に、「ああ、私はこういう映画が見たかったんだ・・・」としみじみ思える実に良い作品だった。

 

ちっとやそっとでは人々は驚かなくなり、どんどん映画が大掛かりになっているが、そんな時代でも、こういう作品が話題になりアカデミー賞の最多ノミネート作になっているのは嬉しい。映画の予告編というものは、どれもみな見たくなるように本当にうまく作られているので、ときにはハズレを引いてがっかりすることもあるが、今回は自分の勘がピッタリ的中したことも嬉しい。

 

帰り道もずっと感動の余韻に包まれていた。悲しくて泣くのでも、切ないのでもない。失ってしまった懐かしい大切なものに再会した満足感・・・とでも言ったらいいのだろうか。すでに映画が何でもありの大仕掛けなものになってからしか知らない若い世代にはたぶん新鮮に映るだろうし、かつてのミュージカル映画の黄金時代を知る世代には、それぞれの思い出の作品と二重写しになって、より深い感動が味わえることだろう。

 

 

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 私が一目ぼれしたオープニングの群舞

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不思議な読書空間『焼野まで』村田喜代子著

朝日新聞の連載小説『人を見たら蛙になれ』で知ってから、何冊かこの著者の作品を読んだ。今まで、はずれはない。前回読んだのは『屋根屋』だったと思うが、これが夢と恋のファンタジックな話だったのに対して、今回の『焼野まで』は全編に死が漂っている話だった。

 

東日本に大震災が起き、福島の原発は深刻な事故を起こして、住民は放射能の危機にさらされている。そんなときに「わたし」は子宮体がんが見つかり、看護師をしている娘は「子宮頸がんと違って、体がんは切除するという選択肢しかない」と主張する。しかし「わたし」は娘を振り切って、放射線治療を受けるため、九州南端の都市に向かう。

 

オンコロジー・センターと呼ばれるそこは、放射線を四次元ピンポイントで患部に照射し、がん細胞のみを殺すという治療をする。入院施設はないため、「わたし」は近くのウイークリーマンションを借りて毎日そこに通う。放射線の影響は人によって違うが、「わたし」は宿酔がひどく出て、治療を受けたあとは食べ物もあまり受け付けず家に帰るのもやっとで、時には電話をくれた夫に、つれなく当たってしまったりする。

 

ぎりぎり生きているというような状態で、ひたすら放射線治療に通う「わたし」。ずっと同じ職場で働き、ともに退職した現在、やはりがんを患って他の病院に入院して治療している八鳥誠とは同じ病と闘う者同士ゆえか、電話で話すことに僅かな楽しみを見出している。

 

八鳥との会話、亡くなった祖母や大叔母と夢の中で交わす会話、オンコロジー・センターの患者仲間の女性とのやりとり、通院途上で知り合った鍼灸師の老婦人との交流などが「わたし」の頼りない体調の日々の中で語られ、どこまでが夢でどこからが現実か定かでないような不思議な物語空間が続く。

 

背景がまた現実離れしている。作中では「焼島」とされているが、これは「桜島」であろうと思われる。しかし、かの地では、こんなにも日々灰が降ったり、噴石が飛んだりしているのだろうかと思うほど、非日常的に感じる風景である。太陽は遮られ、家々に灰は積もり・・・、いちめん灰色の景色が浮かぶ。その中に、八鳥が語る種子島の宇宙ロケット発射センターの美しい空の青と、祖母や大叔母や鍼灸師など逞しい老婆の周囲にのみ、命の色が点在する。

 

オンコロジー・センターでは人を救うために放射線が使われ、ボロボロになってマンションに帰り着いた「わたし」が、テレビで目にするのは福島の原発事故の底知れぬ放射線の恐怖の映像だ。

 

全編に死がただよい、あの世とこの世が絡み合って進む物語なのだけれど、不思議に暗くはない。終盤で喧嘩別れしたままだった娘との和解もあり、なにより「わたし」である著者が、2017年の今も健在で、転移や再発のニュースもないことを読み手は承知もしているからか。

 

作中に、「わたし」が治療仲間たちと焼島の火口を見に行く場面があり、この火山のすぐそばにも原子力発電所があるという描写が出てくる。声高には言わないが、エネルギーの塊であるこのような火山を無数に抱えるこの国で、こんなにも原発を持っていることの恐怖も、静かに伝わってくる物語だった。

 

 

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ついてなかった今日のお出かけ

一か月半ぶりに古文書の講座に出席することができた。帰り道に「かどへい」さんによってお正月バージョンの飾りつけを写真に収めたのが、もうはるか以前のことに感じる。もうこの季節なら、店内いっぱいお雛様だろうか。

 

けれども、今日はちょっとまた新しいお店に行ってみることにした。「昔ながらの喫茶店」という雰囲気のお店が廃業した後、リニューアルして、ベジモなんとか・・・と、名前からしていかにも野菜たっぷりなお料理が揃っていそうなレストランになった。ずっとそこが気になっていたので、今日はそこで昼食にすることにした。

 

いさんでお店のドアを開け、ふーん、こういう雰囲気なのね・・・と店内を眺めつつ足を踏み出したところ、スッテーン、いや、こんな軽やかな感じじゃない、ズッドーンとばかり思いきりのめってしまった。えっ、えっ、何が起こったの?

 

ドアを開けて店内に入るとすぐ、20センチほどの段差になっていたのだ。即座に「すみません!大丈夫ですか?」と店の人から声がかかると思ったのだけれど、カウンターの中の若い二人の女性は知らんふり。何事もなかったよう。え?あんなに派手に転んだのに、気付かなかった?それとも気付かぬ振りするのがサービスと思ってる?

 

???と頭の上にはてなマークをいっぱい浮かべたまま、ちょっと痛い膝をさすりながら席に着く(幸い、客は一人もいなかった)。テーブルの上のメニューを見ると、期待は大きくハズレ。野菜いっぱいの健康的なメニューが並んでいるとばかり思っていたのに、なんとメインはハンバーガー。あとはサラダとソフトドリンク類。私、今日はご飯が食べたい気分だったのだけれど、お米を使ったメニューは全くなし。

 

さんざんメニューをにらんで検討した結果、やっぱり食べたいものはないし、転ばされた(!)こともおもしろくなかったし、黙って店を出てしまった。

 

結局いつもの駅ビルで、変わりばえのしないお昼に・・・。まあ、こんなこともあるか。

 

 

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こんなついてなかった時も、このお雛様を見ると頬が緩む。もう40年以上前、まだ神奈川に住んでいた頃に、近所の奥さん(今の言い方ではママ友)が、当時大流行していたパンフラワーの材料で作ってくれたもの。のほほ~んとした表情がなんとも言えず、あちこち欠けたりしているのだけれど、私の大切なお雛様。

残酷で美しい物語『蝶』皆川博子著

書評などで「美しい文章」と評されているのに惹かれて読んでみると、案外に美しげな表現が多いだけで、自己陶酔的傾向の強さに辟易して、我儘な私は往々にして読み通すことができなかったりする。

 

けれども、この『蝶』は本当に美しい文章だと思った。美しげに書いているのでなく、的確な表現で無駄がない。読み手に心地よい緊張感を抱かせ続ける。そして、それぞれの物語に引用している詩や俳句が、陰影の濃い物語の奥行きをさらに深くする。

 

「空の色さえ」 両親がちゃんといるのになぜか祖母の家で育てられた私。「あがってはならぬ」と祖母に禁止されたその家の二階には、幽霊の男がいて、その男の弾くマンドリンに合わせて私は歌う。祖母、嫁である私の母、胸を病んだ叔父、近しい人間の愛と憎が絡み合う・・・。

 

「蝶」 インパール戦線で生き残り復員した男。妻のもとに帰ると、彼女は彼の見知らぬ男と同棲していた。奇妙な三人の同居の果て、男は戦地から持ち帰った銃で妻と情夫を撃つ。幸い二人は死なず極刑にはならずに済んだ男は、出所後、小豆相場で成功。北の果ての海に程近いさびれた「司祭館」に住みつく のだが・・・。

 

 

「艀」 戦争でみなしごになったしのぶは、使われていない漁具の小屋に住んでいる。桟橋で知り合った男からみすぼらしい詩集をもらう。それは紙不足の世に男が苦労して出した私家版の本だった。それから二人は桟橋で会ってはその詩集を朗読し合う。ある日、しのぶは入水しようとする男を見つけ、自分も後を追う。男は入水を断念してしのぶを助ける。成長したしのぶは小説を書くようになる・・・。

 

 

「想ひだすなよ」 仲良しの4人の少女。でも実はたがいに嫌ったり見下したり敵意を持ったりしていた。やがて読書の好きな「わたし」は、友人たちと遊ぶより隣家の主人の妾と本を読むことに夢中になる。ところが、それが大人に知れたとたんにその楽しみを奪われてしまう。大人に教えた友人を憎んだ「わたし」は、その時男物の傘を持っていた。男物の傘の石突は槍のように細く鋭い・・・。

 

・・・という具合に、美しさと恐ろしさが見事にないまぜになったお話が、

「妙(たま)に清らの」

龍騎兵(ドラゴネール)は近づけり」

「幻燈」

「遺し文」  と八篇続く。

 

装丁もこの作品にピッタリの雰囲気。

 

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Amazonの写真が明るすぎてイメージが違うと思い、自分で撮ってみたが、やっぱり明るくなってしまう。実際はもっと青が暗い色で、見返しや見返し遊びが黒で、とびらもとても似合ったデザインで作品世界と融合している。

昨日は例の19日でした

9.19を忘れない諦めないの集会&パレードの19日。スタンディングの言いだしっぺが、またまた新しいことを考えた。従来型の集会やデモでは外の人にはまるで伝わらないから、もっと外にいる人にアピールする行動をしよう、という提案だ。いくら言っても従来型を変えてもらえず、このところデモには加わらなかった私は、一も二もなくこの提案にのって、「イモムシ行進」に加わった。

 

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集会の輪の外側で、外に向かってプラカードを表示。そのあと、こうして掲げたままぞろぞろ並んで駅周辺を練り歩く。時々また止まってこの状態でプラカの表示・・・を集会&パレードの1時間行った。一人で一枚のプラカードを掲げるのと違って、字が大きくて読みやすいせいか、結構通りながら読んでいる方が多かった。

 

メンバーの一人は、高校生など若い子が2、3人で立ち止まって見ていると、「写真撮ってSNSで拡散して~」と呼びかけていたが、残念ながら写真を撮る子はいなかった。次は思わず写真を撮って「変なおばさんたちを見たよ」と呟かずにはにはいられないような、うんと派手なコスチュームでするしかないか?

 

 

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地元紙に掲載されたPeace展の紹介記事。写真がまだ目標枚数だけ集まらない。目指すは300枚、目下200枚ほど。

 

今回のチャリティーPeace展で、収益の一部を寄付する「おいでん!福島っ子」のビラ

(おいでん、は三河弁で「いらっしゃいよ」の意)

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前回載せ忘れたMEGURIYAさんのカレー。マクロビオティックの料理教室をしているMEGURIYAさんらしく、とってもヘルシーなカレーとサラダ。

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映画『ザ・トゥルー・コスト』を見て考えるファストファッションの真の代償

先週、友人に誘われて、先日『日本の青空』を見に行った田原市のMEGURIYAさんにまた映画を見に出かけた。今回は『ザ・トゥルー・コスト』という服飾業界の裏側を追ったドキュメンタリーだ。

 

映画は美しいモデルたちが、ファッションショーでランウェイを颯爽と歩くシーンから始まる。どこの国でも、ファッション業界と言えば華やかで夢に満ちている。けれども、その裏側で、その華やかな世界を支えるために搾取され続けて苦しんでいる女性たちがいる。

 

とりわけ、近頃大人気のファストファッションと呼ばれるもの、有名どころではH&M、FOREVER21、ZARA、ユニクロなど。これらのブランドの信じられないような安い服は、発展途上国の女性たちの劣悪な環境と条件のもとでの労働に支えられている。

 

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2013年4月にバングラデシュ・ダッカのラナ・プラザという縫製工場が倒壊し、1,100人以上の死者、負傷者2,500人以上の大惨事となり、初めて世界はこうした華やかなファッション業界の裏の事実に直面した。 この事故をきっかけに、この映画が作られた。

 

上にあげたファストファッションブランドのうち、私はユニクロの製品を数年前に何点か購入したことがある。安いということは知ってはいたが、実際にお店に行って商品を見て、生地や縫製の割には本当に信じられないほどの値段だった。その陰には賃金の安い国の方たちの労働があるのだろうと思ってはいたが、映画の伝える真実はさらに衝撃的だった。

 

そして私がもっと驚いたのは、廃棄される服が行き着く先の、目を覆いたくなるひどい状況だった。

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日本の衣料品の廃棄量は年間100万トンにものぼるとか。安いので気軽にどんどん買って、そしてまたどんどん捨てている。それが大変な自然破壊につながっている。上の写真はまだましなほうで、映画にはもっともっと恐ろしい映像が出てくる。そしてそれらのもたらす害の影響を受けているのも、発展途上国の人々だ。

 

 

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オーガニックコットン畑で薬剤を噴霧する作業員。

 

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アメリカの農場の女主人。オーガニックコットンを作っている。彼女のご主人は50歳で亡くなった。大量に使う薬剤の影響だと彼女は考えている。そのような不健康な栽培をやめたくても、採算をとろうと思うとやめることは難しい。私は「オーガニックコットン」と表示されたものは、農薬など使っていないものと思っていた。でも、初期の頃はそれなりに高価だったが、近頃は不思議なほど安価なものが目に付く。こういうことだったのだ。

 

 

こうしたファストファッションのいっぽうで、エシカル・ファッションやフェア・トレードを謳った「ピープルツリー」というブランドがあることも紹介していた。嬉しいことに、このブランドは日本で始まったということだった。それにしては、画面に登場して話をしていたのはアメリカ人ばかりだったけれど(日本まで取材に来れなかった?)。

 

あくどく利益を追求する企業はもちろん悪いが、ものの正当な価格をわきまえず、ただただ安いものに喜んで飛びつく消費者にも、大きな問題があるということを気付かせる映画だった。

 

食べるもの、身に付けるもの。私たちはもっと自分の体が真に求める良いものを見極め、適正な必要量を知り、良いものを大切に取り入れる賢い消費者にならなければ、いずれ自分の足を食べるという愚かなタコになってしまいかねない。

 

 

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ラナ・プラザの崩壊         (写真は全て映画の公式ホームページより)

             

『象は忘れない』柳広司著

東京電力福島第一原子力発電所が制御不能となった「あの日」以来、著者が目にした様々な形のテキストをもとに書かれた作品だ。巻末に掲載されている、日本語で書かれた主な参考資料・文献は65に及ぶ。

 

内容は、能の演目からとったタイトルを付けた5つの短篇から成っている。文春のサイトで、著者が「能は、死者やこの世の外の者たちとの邂逅の物語です。古典として後世の様々な物語に引用されることで、実際に観たことがない人でも日本人ならなんとなく内容が身体に滲みこんでいる。千年以上生き残ってきた能の形式を借りることで、読み手が人の想像力をはるかに超えるあの事故を把握し、記憶する手がかりになるのではないかと考えました」と語っているように、能の世界と事故の現実と著者の描く世界が複層的に迫ってくる。

 

 

それぞれの物語のあらすじは、hatehei666さんが詳しく書いてくださっている。

d.hatena.ne.jp

 

道成寺  繰り返し出てくる「フッとふいて、プッとふいて、この家、ふきたおしちゃうぞ!」という、『オオカミと三匹の子ブタ』のセリフが印象に残る。純平が子供のころから「ジェット機が落ちてきても壊れません。それくらい原発の建物は頑丈にできているんです」と聞かされてきた、厚さ2メートルものコンクリートの原子炉建屋の壁が、まるで紙でできた家だったかのように骨組みだけを残して吹き払われてしまった・・・。

 

黒塚  繰り返し出てくる「タスケテ」。瓦礫の下から助けを求める女の声だ。それを聞きつけながら、放射能のために捜索を打ち切らざるを得なくなった慶佑の耳に、何度も何度も蘇る。しかも、避難指示に従って避難したはずなのに、慶佑たちはどんどん線量の高い地域に向かっていた。政府がSPEEDIのデータを公表していれば・・・。そして何より、原発事故さえなければ、「タスケテ」という声の主を救えていた。「原発事故で死んだ人はいない」と言った国会議員に、慶佑はあの声を聞かせてやりたいと思う。

 

卒都婆小町  繰り返し出てくる「ほろすけ、ほーほー ほろすけ、ほーほー」。靖子が幼かった頃、お気に入りでよく口ずさんでいたということば。いま、靖子の娘は回らぬ口で「せしゅーむ、いちさんよん、すとろんちーむ、きゅーじゅう」などと呟いている。母娘で避難した東京で、周囲の人が娘に決して手を触れようとしないことに気付く靖子。傷心の靖子に、ただ一人優しく手を差しのべてくれた上品な老婦人の、思いもかけない正体・・・。

 

善知鳥  ジョージ・ハンターはアメリカ海軍曹長ロナルド・レーガン号に乗艦して「トモダチ作戦」に参加した。ハイチ・ソマリアなど相当ストレスの高い現場に派遣されながら、帰国後のストレステストでほとんど反応を示さなかった彼が、トモダチ作戦のあと深刻なPTSDに陥ったのはなぜか。極秘任務のゼロ作戦とは?彼は思う。作戦名の「トモダチ」は子供がよく使う言葉だと言う。オトモダチ、アリガトウ、オモテナシ。ふん、何がクールジャパンだ。マッカーサーはほとんどの日本人の精神年齢は十二歳で止まっていると言ったというが、この国は70年たってもそのままだ・・・。

 

俊寛  俊寛(としひろ)は家業を継ぎ、有機栽培に取り組んでいた。高校卒業後都会に就職した仲間も、結局地元に帰って来て、昔のような付き合いが戻っていた。優しく子供思いで退職後も近所の子供の勉強をみたりしていた恩師は、仮設住宅に入ってから精神のバランスを崩し餓死とも言える状況で孤独死する。その葬儀の帰途、3人は一緒に飲みながら役人や東電の対応のいい加減さをともに憤るのだが、やがて帰還困難区域と避難指示解除地区に分かれたことから、友人同士の間にも微妙な変化が生じていく。

友人がよその地に引っ越していく車を見送りながら、俊寛は思う。国はオリンピックを誘致してお祭り騒ぎで国民の目を原発事故から逸らせようとする。原発事故などなかったことにしようとしている。みんな本当に忘れてしまったのか。悪いことは忘れたい。嫌なことは忘れたい。覚えていると辛いから。企業も政治家も、忘れさせたいと思っている。

だが、みんなが忘れてしまうから、また悲劇が繰り返されるのではないか・・・

 

 

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豊橋スタンディング+(プラス)とママの会@三河で、今年もPEACE展を開催。

今回はチャリティーと「命」を前面に出して。スナップ写真での参加は1枚100円、一般の作品の出品での参加費は1000円。作品に値段を付けて販売する場合、売れたら半分は本人に還元。そうして経費を引いて収益が出たら、「おいでん(いらっしゃい)福島っこ」という福島の子供を受け入れる保養活動をしている団体に寄付する。