よんばば つれづれ

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世代間の違いの個人的考察

私は昭和26年の生まれ、敗戦から6年たっていくぶん世の中が落ち着きを取り戻し始めた頃だろうか。それでも物心ついたころ、まだ周囲には「バラック」と呼ばれるような家も残っていて、小さな隣組の中でさえ、お金持ちと貧乏人の差は子どもの目にもはっきりと見える時代だった。私の離乳食は「配給」だったようで、そしてその頃の離乳食がさほど美味しかったとも思われないのだけれど、姉や兄が欲しがったものだと母の話で聞いたことがある。

 

また母の口から、「苦労して掛けた保険が、やっと満期で来たと思えば、貨幣価値が変わってしまって何の足しにもならなかった」と繰り返し聞かされた。貴金属は戦争中に鍋釜とともに供出してしまっているし、父が経営していた写真館は空襲で焼けてしまい、私が生まれた頃、なんとか父は公務員として遅いスタートを切ってはいたものの、母はやりくりに苦労したのだろう。

 

学校では「権力は腐敗する」と教わり、だから「ペンは剣よりも強し」でジャーナリズムは権力を監視する務めがあるのだと知った。戦争中教え子を戦地に送りだしたり、敗戦によって教科書に黒々と墨を塗る経験をした教師たちが、まだたくさん教壇に立っていたであろう時代だ。

 

人は環境の生きものだ。意識しなくても、社会や時代の影響を受ける。いま社会活動をしている中心層の60代後半から70代以上の世代は、精神の柔らかな時期をこうした時代に過ごしているせいか、たいてい権力は腐敗するもの、信用ならないもの、と認識している。

 

ところが、私の周囲でいっしょに活動している人たちの多くが、異口同音に「自分の思いを、最も身近な子供に伝えるのにいちばん苦労する」と言う。子供は、だいたい30代後半から40代くらいの世代だ。

 

思うに、この世代は高度成長を遂げ経済大国となったこの国に生まれ、世界は東西冷戦のただなかではあれど、平和で安定した社会の中で育った。世の中は信じるに足るものであり、国はそこそこ国民を守ってくれるものと感じながら、大きくなったのではないだろうか。

 

私自身も感じることだが、他の人からも、もっと若い世代、20代や30代始めあたりの人たちはまた違う傾向があると聞くことが多い。この世代は生まれながらに不況の厳しい時代で、親も国もあてにはできないと感じて育ったのではないだろうか。だからこそ、自分たちで助け合わねばと考えて社会起業家を目指すとか、お金を儲けたり立身出世を目指したりするよりも、堅実に穏やかに暮らしたいと考える・・・。

 

もちろんどの世代でも十人十色であり、しかも上記の考察はなんの根拠もない素人考えだけれど、各世代を集団で見た時にどうも私はこうした傾向があるように思う。それゆえかどうか、ご夫婦でスタンディングする方はいらっしゃるが、親子でスタンディングしたり、集会に参加したりしていらっしゃるのを、今まで私はほとんど見ていない(幼児連れは除く)。

 

 

多くの方が「私たちは何とか逃げ切れる世代だけど、子や孫の時代を思うと心配で、なんとかしなきゃと思って活動してる」と仰るのだけれど、皮肉なことに、その子供の世代との断絶は意外に深いようだ。

 

 

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もう二十年以上昔、友人がくれたドングリ(正確にはマテバシイかなにかの実だろうか)で作られたお雛様。下の写真で大きさを確認してください。

 

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ナナコカードにすっぽり入る・・・。

 

慌ただしいこの一か月半を過ごして思うこと

いま改めて手帳の1月のページを見ると、5日の正月明け以後、何も予定の入っていない日は2日しかなかった。

 

野党共闘を進める新しい市民団体の発足集会の準備と開催に追われるうえに、スタンディングの新年会の幹事が重なり、加えて民生委員の会議や新任研修もあり、古文書の講座には1回しか行けなかった(2月もたぶん1回しか行けない)。

 

今月に入ると動き出した市民団体の事務局の一員として、野党4党の東三河支部担当者との面談の予定が入り(昨日でいちおう全部終了)、その報告の資料を作成したり、先月の発足集会参加者へのお礼状と送付資料を作成したりなどに追われている。

 

そんな訳で1月は行きそびれてしまったので、午後4時過ぎまで予定の入っていない今日、やっと墓参に出かけた。風はあるけれど、おとといまでのような頬をさす冷たい風ではない。最寄り駅で電車を降りて十数分、高台にある霊園への坂を上る頃には、マフラーを外しコートのボタンをはずさないと汗ばんでしまいそうだった。

 

墓参のあと、隣接する梅園に立ち寄る。まだ早咲きの数種類以外は蕾もかたいが、春めいた日差しに誘われた人たちが写真をとったり散策を楽しんだりしている。ちょうど昼時でもあったので、私は花より団子とばかり、テント張りの茶店の前の赤い毛氈を敷いた床几で、五平餅や和菓子やお茶を楽しむ。

 

そうしていると、どうしても、同じようにこの床几にすわって母と甘酒を飲んだ日のことを思い出す。まだ我が家で暮らし始めた頃は、霊園の一番奥の方にあるうちの墓から、この梅園まで歩く元気が母にあったのか・・・と信じられないような気がする。それから急速に足が弱ってしまって、家の周囲の散歩以外あまり外出したがらなくなってしまった。大好きだった、デパートに洋服を見に行く提案にさえ乗って来なくなった。

 

もう少し足が達者なうちに同居していたら、同居しているうちに私が働かないでいい状況になっていたら・・・と思うけれど、これはせん無い「タラレバ」ばなし。実際には、一緒にいた時の私は、自分の短所を濃縮して見せつけてくれるような母に、イライラしてばかりいた。まだ音訳ボランティアもしていたので、休みの日は母とゆっくり散歩をするより、録音をしたいと時間を惜しんだ。

 

ないものねだりや失ったものを惜しんでも仕方がない。いま与えられている状況、いま手にしているものを大切にしよう。もう失うものは健康くらいしかないけれど、「しか」なんて言ったらばちが当たりそうにありがたいものだと思う。

 

 

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                 (写真は去年のものです)

「穂の国音楽マエストロたち」第3回杉浦充さんの箏に感涙

豊橋出身で、今は当地を拠点に、箏のライブ、作曲、地元FMラジオ局のDJと幅広く活動なさっている杉浦充さんが、今日の講座の講師だった。さすがラジオのレギュラーを持っていらっしゃるだけあって、おしゃべりも軽妙で会場はすっかり充ワールド!

 

山田流と生田流の2種類の十三絃箏、十七絃箏、二十絃箏と4つの箏を披露してくださった。幅はもちろん二十絃がいちばんあるが、長さは十七絃の箏が最長で、2メートル10センチもあるのだそうだ。前回のチェンバロも運搬が大変そうだったけれど、これだけの箏を持って演奏活動に飛び歩くのも大変だ(何事もやはり体力は大切)。

 

空手の静と動の世界を表そうと作曲したという「以静成動 以動成静」を、低く力強い音色の十七絃の箏で演奏してくださったのだけれど、曲と箏の特性がマッチして印象的だった。講座の始めに山田流の十三絃の箏で演奏された流麗な「さくら」とは対照的な箏の魅力があふれていた。

 

休憩をはさんだ後半では、二十絃の箏を使ってジャズや演歌を演奏、そして箏に合わせて「上を向いて歩こう」をみんなで合唱した。そのあと、また杉浦さんの作品2曲を演奏してくださったのだけれど、そのうちの「PRAY~祈り~」にまつわる話が素晴らしかった。

 

2011年3月11日の震災の時、杉浦さんは録音のため東京麻布のスタジオにいらした。最初は何が何だか分からないほどの衝撃、しばらくしてこれは大変な地震だ逃げなくてはと気付いたそうだ。外に出ると周囲のビルが信じられないほどの揺れ方をし、東京タワーが折れ曲がってしまうのではと思うありさまだった。

 

その日はそのスタジオに泊まり、そうして帰宅困難者に。やっと東名高速が走れるようになって帰路についたのだけれど、ラジオからは信じられないような情報ばかりが流れ、対向車線は被災地に駆り出される消防自動車などの救急車両が続々と・・・いう中、やっと豊橋に帰り着かれたのだそうだ。

 

それから6年近くたって、なんだか世の中ではあれほどの震災が、だんだん忘れられつつあるように感じる。日本も世界もますます不穏な雰囲気になり、弱い立場の人を顧みないようになってきている。あの大震災を忘れないため、そして今も大変な思いをしている被災者の方々を応援するために、この「祈り」という曲を作られたのだそうだ。

 

それまで楽しいおしゃべりで会場の笑いを誘っていらした杉浦さんがしてくださったこの体験談は、ほとんど震災の影響を受けずさして苦労もしなかった私には、強い印象を与えた。当時、直後の混乱の中を応援に行かれた看護師さんのブログを読んで涙したり、その後もさまざまな方の体験談や震災関連の出版物も読んできたけれど、やはり体験した当人からじかに聞く話は文字とはかなり違う。

 

この話を伺った後の、祈りの思いのこもった演奏は格別心に響いた。どうか、この体験談とこの曲の演奏を、末永く、また一か所でも多くの場所で続けていっていただきたいと願う。

 

アンコールに応えて再度十七絃の箏に替えて『ワンダフル・ワールド』を演奏してくださって、充実の第3回講座の終了となった。

 

 

昨日「おしどり」のマコケンさんの話を書き、そして原発事故後の福島をテーマにした『象は忘れない』を読んでいた所に、思いがけない今日の音楽講座での震災体験談とそこから生まれた祈りの曲との出合いだった。

 

そうそう、SPYBOYさんのブログでは、「トモダチ作戦」に参加した米兵への支援基金を紹介してくださっていた。➡ 城南信用金庫 『象は忘れない』にはこのトモダチ作戦の話も出てくる。

 

 

 

杉浦充さんの演奏

 

 

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久しぶりの「おしどりマコ&ケン」さんネタ

吉本興業のお笑いコンビ「おしどり」に密着したドキュメンタリー番組「NNNドキュメント’17 お笑い芸人VS原発事故 マコ&ケンの原発取材2000日」が、先日5日の深夜に放送された。この情報を得たのが放送日よりだいぶ前だったので、一週間前になったら録画予約しよう・・・と思っていて、うっかり忘れてしまった。

 

どうしても見たいと思い、ネットで動画を見つけてお気に入りに登録しておいたのだけれど、さて見ようかとそのサイトにアクセスすると、既に削除されてしまっていた。悔しい(12日に再放送があるようだが、BSとCS。私は利用していない)。

 

ところで、このところこのブログへのアクセス数が微妙に増え、不思議に思っていた。しばらくして、「注目記事」の5番目に「おしどり」マコケンさんを取り上げた2年前のエントリが入っているのに気付いた。おそらくアクセス数の増加は、この番組の放送の影響だろう。

 

過去記事:

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

ブログ仲間のAO153さんが、昨日のブログでドキュメンタリー映画『大地を受け継ぐ』を紹介していらした。福島県須賀川市の、自死という形で父親を失った専業農家の方が、学生たちに自分の体験や思いを語るという内容らしい。全く知らない作品だったが、見てみたくなった。3000円ほどでDVDが購入できるようなので、「よんばばんち」での上映も視野に入れて買ってみようかなと考えている。

 

この間は中山七里さんの『アポロンの嘲笑』で、原発事故の現場を間近に見た人はいないけれど、もし見られたとすればきっとこんなだったのだろうと思われる描写に戦慄したが、今日から柳広司さんの『象は忘れない』を読み始めた。この作品も福島の原発事故を題材にした短篇集だ。

 

こうやって私が本を読んだり映画を観たりしたからといって、福島の何が解決されるわけでもない。沖縄についても、同様の虚しさを感じる。それでも、まずは忘れずにいたいと思う。心を寄せ続けようと思う。そして、なにか実際にできる機会があったら、自分にできる限りのことはしたい(自分の心をなだめるだけの、自己満足です。ハイ)。

 

気にし始めればあれもこれもと限りがないのだけれど、福島と沖縄は、その犠牲の上に私たちの便利さや快適さや安心があったのだという点で、やはり特別な気がする。知らぬが仏で、まだまだこういうことが他にもあるのかもしれないけれど。

 

 

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仲の良い「おしどり」のふたり        (「おしどり」の公式HPより拝借)

これは絶対『竜の柩』も読まなくちゃ!『霊の柩』高橋克彦著

先週、最後のコグニサイズ教室のため訪れた市民館で、帰りに図書室に寄ったところ、高橋克彦さんの本を見つけた。

 

以前やっていた音訳ボランティアで、点字図書館から『火怨』という作品をあてがわれて、初めてこの方の作品に触れた。大和朝廷と東北の蝦夷との戦いを描いた物語で、音訳のために渡されなければ、決して自分では手に取らなかったであろう本だ。

 

同じく音訳で、子母澤寛の『逃げ水 上・下』を担当して時代物の面白さに目覚め、そのあと、この『火怨 上・下』で決定的になったともいえる。どちらも音訳作品化には苦労したけれど。

 

かつて私が音訳作品化したもの(音訳図書は、視覚障碍の方は全国から利用可)

yonnbaba.hatenablog.com

 

その後も何作か高橋氏の作品を読み、どのジャンルの作品も素晴らしくて信頼している作家だったので、分厚い本だったけれど迷わず借りてきた。そうしたら、『竜の柩』『新・竜の柩』それぞれ上下巻の本で、文庫版では『竜の柩』として6巻のシリーズになっているほどのボリュームの作品群の、これは続編ということだった。

 

それでも、とにかくちょっと読んでみようと読み始めたら、面白くて止まらなくなった。前作を読んでいなくても、これはこれで十分楽しめた。

 

歴史に残る竜の痕跡を求めていくうち縄文時代の日本に旅した主人公たちが、自分たちの暮らす時代に帰還するはずだったのだが、どうやら帰り着いた時代は大正8年の十和田湖畔だった・・・というところから話は始まる。

 

なんとか金を工面して、飛行機はもちろん新幹線もない当時の交通事情のなか、苦労して東京までたどり着く。生きている江戸川乱歩と出会ったり、関東大震災で崩れる前の浅草十二階に登ったりするうち、妙に懐かしさを感じさせるこの時代の居心地の良さに、このままこの時代に生きるのも悪くないかとも思うのだけれど、やはり家族や友人のいる本来の時代に戻るため、彼らは大変な工夫や努力をする・・・。

 

現代の日本に戻る手段として、主人公たちは大正の時代のイギリスまで渡る。飛行機のない時代だからもちろん船旅だ。行った先のロンドンでは、『シャーロック・ホームズ』を書いたコナン・ドイルと出会ったりする。

 

これから読もうとする方のためにあまり細部は書けないが、時間旅行物の定番の面白さにさらに二重三重の面白さが加わって、600ページ余の分厚い本もまたたく間に読み終わってしまった。これはぜひ、『竜の柩』シリーズも読むしかない!

 

 

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マッチョな人、マッチョな国は、「いちばん!」が好き?映画『スノーデン』を見た

先週、金曜スタンディングのあとミーティングがあり、その時にメンバーの一人が映画『スノーデン』がとても面白かったと話していた。『沈黙』を見たいと思っているという人が何人かいて、私もそう思いながら、3時間はちょっと長いなあ・・・と躊躇している。

 

映画を見るのは好きなのに、なぜか映画館まで出かけるのが億劫でなかなか腰が上がらない私なのだが、この時のひとことが引き金になったのか、土曜日はスンナリと映画館に出かけることができ、『スノーデン』を見てきた。

 

映画の趣旨とはまるで関係ないけれど、いちばんに感じたのは、「やっぱりマッチョは嫌い」! 映画の冒頭に、主人公スノーデンがアメリカ軍の部隊で訓練を受けているシーンが出てくる。その訓練を指導している上官の言葉のなんと下品で汚いこと!(でも不思議なことに、国会中継など見ていると、そうした汚い言葉が好きそうなおじさま方が少なくない感じがしてしまうのはなぜだろう)スノーデンは大怪我をして、それがきっかけで軍をやめるのだが、なぜ彼のようなタイプの人が軍隊を志したのか不思議なほどだ。

 

Wikipediaによれば「スノーデンは『自由の為の戦い』を望んでイラク戦争への派遣を自ら志願するなど意欲のある軍人だった」とあるので、まっすぐな正義感から、自国の戦争を真に正しいことと信じていたのだろう。

 

このまっすぐな正義感は、自分の能力を最大限に発揮して諜報のためのプログラムを作る際にも、そしてそれが決して真の正義のための使われかたではないと確信し、孤独で厳しい戦いに突き進む時にも、原動力になったのだと思う。

 

ストーリーは、まだほんの数年前に世界中を騒がせた大ニュースの主人公の話なので、初めから展開は分かっている。スノーデンが証拠となるデータのコピーをとっている最中に上司がやっくるシーンなど、彼が無事にロシアに逃げおおせたことをニュースで知ってはいてもドキドキしてしまった。

 

主人公の職場の仲間や、彼を励まし支え続ける恋人など、周辺の人物も魅力的だ。またスノーデンに温かく接する、閑職に追いやられているらしい上司役のニコラス・ケイジも良い味を出していた。

 

魅力的な周辺人物と言えば、香港でスノーデンの独占取材をするガーディアンのスタッフ、とりわけ女性カメラマンも魅力的だった。アメリカはまだこうした硬派の報道魂を持ったジャーナリストがいて羨ましく感じた。

 

 

だいぶ昔の映画007シリーズに、「情報を制したものが世界を制する」と口にする悪役が登場した記憶がある。まだ情報というものの価値が一般的にはそれほど重要とは認識されていない頃だったと思う。そして、その当時の重要な情報とは、特別な立場にある特別な人たちの情報のみだったと思う。

 

けれどもテロが日常化し、犯罪も複雑化した現代においては、権力に収集される情報はまさに普通の市民の普通の日常、まるごとすべて、である。その中から不穏なことに繋がりそうな芽を摘んでいく。そういう努力を続けなければ、世界最強の国でいられない、というような主人公の上司の台詞があった。

 

富も権力も高い技術力も素晴らしいものには違いないが、真の価値は使い方による。自国ファーストや自分の行政区ファーストを叫ぶのは自由だけれど、全ての国が、全ての自治体が、「いちばん」になることはできない。どこかが「勝て」ば、どこかが「負け」る。

 

日本には「負けるが勝ち」という素晴らしいことわざがある。「勝つの大好き!」「いちばん大好き!」なマッチョな方々に、ぜひ教えて差し上げたい言葉だ。

 

 

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豆を年の数だけ食べるのは大変だ

金曜日。国際協力コスモス会。今日はやっぱり「節分について」。

 

節分は季節の分け目を意味し、本来1年に4回あったのだけれど、新しい年を迎える節目でもあるためか、立春の前日の節分だけが残っているといういわれから始まった。

 

紙芝居を見てもらい、スーパーでこの時期にサービスで配られる鬼の面を見せて鬼について説明するうち、話は豊橋の奇祭「鬼祭」に飛び、なぜか遠野のカッパ(インドネシアのMさんが非常にカッパに興味があったようで、鬼が想像上の妖怪の一種ということから連想したらしい)にまで及んだ。

 

「鬼祭」についての去年のエントリ

yonnbaba.hatenablog.com

 

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紙芝居

 

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今日もらってきた豆。一袋に25、6粒の豆が入っている。あら、ふた袋では私の年の数には足りない・・・。

 

 

鬼祭を紹介した動画。よろしかったらご覧ください。