よんばば つれづれ

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100から3と5を交互に引く、案外これが難しい

今年最初のコグニサイズ。私は小学校での見守り隊の会議があったので、少し遅れて参加した。市民館に到着すると、すでにストレッチが終わりに近づいていた。

 

ストレッチを終え水分補給のあと、有酸素運動ウオーキング(もっと運動量の必要な人は踏み台昇降を組み合わせる)を20分して、また水分補給と休憩をし、そのあと認知症予防のコグニサイズになる。

 

7月から始まったコグニサイズ教室も7か月目。今月の最後の火曜日は始めるときに行った身体と脳の機能測定をして、とりあえず保健師さんたちの指導による教室が終了となる。

 

教室も終盤なのでと、コグニサイズも少々レベルアップで、しりとりは2人前からの言葉を繰り返した後で自分の答えを言う。これはまずまず良かったが、そのあとの計算が結構大変だった。

 

椅子に座って足踏みしながら、100から3と5を交互に引いていくという課題。いままでの、3を繰り返し引いていく、7を繰り返し引いていくなどというのは楽勝だったが、2種類交互にとなると俄然難しくなる。

 

次に引くのは3だったか5だったかが分からなくなる。今まではグループの他の人の答えまで全部チェックすることができたのに、今日は自分の番に間違えないように答えるだけで精一杯だった。でも、余裕でできてしまうようではあまり脳の訓練にならない。今日のようにちょっと脳が慌てる状態が重要だ。

 

 

夜、何となくつけていたテレビで、脳の注意力のテストとかいうのをやっていた。

青 黄 緑 などという具合に、わざと使用している色と文字の表す色を違えて書いてある文字がたくさん並んでいるのを、なるべく早く文字を読まず色を言っていくというテストだ。上の例だと「あか、みどり、あお」と読むことになる。そして読み終わるまでにかかる時間で脳の注意力の年齢が分かるという。

 

視聴者もゲストと一緒にやってみられるところがあったのでしたところ、私は「20代」という結果だった。嬉しいけれど、実はこのテスト、私が持っている「川島隆太教授の脳を鍛える大人の音読ドリル」というものに出ていて、やったことがある。全く初めてだったら、混乱してもう少し時間がかかったかも知れない。

 

このあとの記憶力のテストはあまり芳しくなかった。主婦がスーパーに寄せ鍋の材料を買いに行くという設定のビデオ映像を見たあと質問に答えるのだが、私は買い物メモにあった品物にこだわり過ぎてしまい、魚のパックに何パーセント引きのシールが貼られていたかとか、店員さんは何番の人かとかいう問題を間違えてしまった。

 

 

人間は大変な能力を持つ脳を、十分活用しきっていないらしい。活用しないまま老化させてしまうのはもったいないが、これからどう頑張ったところで、大勢に影響するほど開発できるわけもない。それでも、なるべく日常生活に支障をきたすことのないよう、せいぜい脳を混乱させて、怠け者にしないようにしなければ・・・。

 

 

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21歳まで生きたオーガスト。眼は見えなくなったけど、いよいよとなるまで、わりとしっかりしていた。

樹木希林さん主演の『あん』を鑑賞

公開時、見たいと思いながら例によって我が町豊橋では公開がなく見られなかった映画『あん』。今回スロータウン映画祭(公式サイト:とよはしまちなかスロータウン映画祭2016)で上映作品に取り上げられた。

 

今年で15回目になるこの映画祭、毎年なかなか作品のラインナップは良いのだけれど、前売りチケットを買っても、当日早くから行って並んで整理券をもらわないと見ることができない。そのため行列嫌いの私は、見に出かけたことは数えるほどしかない。

 

今年の作品の中に『あん』があることは知っていたが、また並ばないと見られないと思い込んでいた。ところが、数日前、友人から「土曜日の10時から17時頃まで空いていませんか」とメールが来た。樹木希林さんのトークショウ付のチケットを2枚買っている。全指定席で並ぶこともないと言う。

 

この作品だけは、他の上映作品とは違う扱いであったのだ。あいにく民生委員の会議と新年会が17時から入っていたが、『あん』だけでも見たいと思い、喜んで友人の提案を受けることにした。

 

こんな訳で、昨日、ドリアン助川原作、河瀨直美監督の『あん』を鑑賞することができた。

 

 

満開の桜の中、陰を感じさせる男(永瀬正敏)が一人でやっているどら焼き屋に、老女徳江(樹木希林)がやって来る。「このアルバイトって、ほんとに年齢は何歳でも構わないんですか?」。男がそうだと答えると、彼女は「わたしを働かせてください」と言う。

 

結構力仕事だし、時給も安いですよと男は断るが、かえりしな彼女は「これ食べてみてください」と自分が煮たあずきを置いていく。徳江が帰ったあと一旦は容器ごとゴミ箱に放り込んだ男だったが、思い直して拾い上げ指ですくってひと舐めする。驚いて再び舐める・・・。

 

また店にやってきた徳江に、男はあんを作ってくれと頼み、男と徳江とのどら焼き屋が始まる。やがて徳江のあんは評判を呼び、小さな店の前に行列ができるようになるのだが・・・。

 

 

ただ、何となく良さそうな映画だから見たいと思っただけで、どういう物語なのか全く予備知識なしに見た。風景が美しく、セリフの少ない静かな映画だ。男や徳江はもちろん、店に毎日やって来る女子中学生のワカナ(内田伽羅)まで、それぞれの抱える重い人生の説明はギリギリまで削って、それでも、いや、だからこそ、見る側に強く迫って来るものがある。

 

店に来て最初にあんを煮るとき、男の「何してるんですか?」という問いに、徳江は「大豆の声を聴いているんです。畑からここまでよく来てくれたなあと思って」(セリフは不確か)と答える。彼女のあんは、小豆との対話から生まれていた。あんに限らず、彼女は、動物や植物やこの世のすべてのものの声に、静かに耳を傾ける生き方をしていた。

 

しだいに徳江に影響を受けていく男と少女。

 

けれども世間の心ない噂のため、ある日からパッタリと徳江は姿を現さなくなる。男のもとに届いた彼女からの手紙の住所を頼りに、男と少女は彼女を訪ねていく。穏やかで温かな時間が流れる。

 

その後、男と少女の上にさらに困ることが起き、二人は再び徳江のもとを訪ねるが、彼女の友人(市川悦子)から数日前に徳江が亡くなったことを知らされる。「墓を作ることの許されない私たちは、仲間が亡くなるたびに木を植えるのよ。徳江ちゃんは桜がとても好きだったから、ソメイヨシノにしたの」と、まだ植えたばかりの小さな木を二人に見せる。

 

 

・・・と、今こうしてあらすじを書いていると、また感動がこみ上げてきてしまう。見終わってもしばらく席から立ちあがれない気がした。けれども次のドキュメンタリー映画『わたしの神様』まで1時間しかなく、その間に昼食をとらなければならない。一旦劇場を出てどこか近くの店で食事するとなれば、1時間は短い。やむなく席を立ち友人とランチに行ったのだけれど、感想を話し出すと涙があふれてしまうので、久々に共にする時間だったのに、二人とも口数少なに食事した。

 

 

私たちは、見るため、聞くために生まれてくる。何になれなくても、見ること聞くこと、感じることはできる。意味のない人生なんてない。意味のない存在なんてない。

 

生まれてきたことは、なんて幸せなことだろう。美しい自然の中で生かされている、それだけで、なんて素晴らしいことだろう・・・。

 

 

河瀬監督のほかの作品もぜひ見てみたいと思う。また、ドリアン助川さんは樹木希林さんをイメージして徳江さんを描いたそうだが、その期待に応えて余りある希林さんの演技であった。体調が悪化することもなく、昼頃に新幹線で豊橋に到着なさったようなので、ぜひお話も聞きたかったが、スケジュールの都合でそれはならず、後ろ髪引かれる思いで劇場を後にした。

 

 

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今日は割烹着!

昨日は新しく作る市民運動のグループの集まりがあり、悪目立ちしてもいけないと思い洋服で出かけたが、今日もまた着物を着た。これで元旦から5日目だ。今日は割烹着。

 

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この割烹着も母のもの。母は襟元がスッキリ開いているデザインを好んでいたので、これはいかにも母好み。それと、必ず白で、毎日着物で割烹着姿だった頃でも、決して柄物は身につけようとしなかった。でも、50代くらいからだろうか、さすがに母も洋服中心の生活になってしまい、いま私の手元に残っている割烹着はこれ一枚しかない。

 

着物は、母が若い頃に着ていた村山大島のアンサンブルだったもの。母も好きでよく着たらしく、ところどころ傷みがあり処分すると言うのを、絣や紬が好きだった私が、どうしても着たいと言って、傷んだ部分を避けて着物に仕立て直してもらった。だから生地自体はおそらく織られてから80年くらいになるのだろうし、私の着物に仕立て直してからでもすでに45年ほどになる。つくづく、着物ってすごいと思う。

 

 

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同じ着物を着た20代の私。1歳の長男を連れて原宿に遊びに行ったときのもの。子育て中でもたまに着物を着たりしていた。たしかこの時も、場所は明治神宮だけれど、特に正月だった訳ではなかったと思う。

怒りも新た『アポロンの嘲笑』中山七里著

年末から読み始め、元日に読了した。

 

東日本大震災後の混乱の中で起きた一件の殺人事件。被疑者の邦彦、被害者の純一はともに原発作業員、同僚で親友です。移送中に逃走した邦彦は、命がけである場所を目指します。逃げる者、追う者。極限状態に置かれた人間の生き様を描く、異色の社会派サスペンスです。  ―出版社サイトの担当編集者による紹介文―  〉

 

主人公の邦彦は、7歳の時阪神淡路大震災に遭い瓦礫の中に埋もれるが、両親が覆いかぶさってくれたおかげで、彼だけが奇跡的に救出されるという過去を持つ。その後ただ一人の身内である叔父に引き取られるが、小さな鉄工所を営むその叔父は、邦彦をたんに安価な労働力としてしか見ていず、苛酷な少年時代を経て、高校卒業と同時に邦彦は叔父のもとを脱出し一人生きていく。

 

邦彦に殺された被害者純一の一家もまた、阪神淡路大震災で家を失い、新天地を求めて来た福島で再び震災に遭う。それでも家族皆が無事であったこと、家も倒壊を免れたことを幸いとして、壊れかけライフラインも止まった家で暮らし続けている。

 

原発での作業中、余震による事故で、危ういところを邦彦に助けられた純一はお礼にと邦彦を家に招待し、それから家族同然の付き合いが始まり、邦彦と純一の妹はお互いに心を通わせるようになる。そんな中でなぜ邦彦と純一は加害者と被害者になったのか。

 

邦彦は警察署に連行される車から逃走し、過酷な運命をたどってきた彼は、そこからさらに壮絶な道を歩むことになる・・・。

 

 

読んでいると、事故直後の東電や政府の対応の様子を報じる当時のテレビ映像がよみがえり、いかにも裏側ではこうした思惑が交錯したことだろうと思われ、原発施設の被害をいかに少なく抑えるかや、関係者が責任を回避する方策ばかりに腐心して、住民を軽視した対策に改めて怒りが強くわいた。また事故処理にあたる作業員を巡る、孫請け曾孫請けさらに・・・といった搾取の構造もじつに腹立たしい。

 

現場の方々の多大な犠牲と苦労もむなしく、いまだに汚染水はあふれ続け、有効な手も打たれないまま、世間では放射能のことは忘れられ始めているような気さえする。東電も、関係する専門家たちも、国策として原発を推進してきた政治家たちも、だれも責任を取らないまま、廃炉の経費がいくら膨れ上がろうと、しかもそれを国民が負担することになろうと、不満らしい不満の声も起こらない不思議な大衆の住むこの国。

 

 

「人間はある時からアポロンを軽視したのではないか。太陽の力に代わる原子力を手に入れた瞬間、太陽神を侮辱したのではないか。邦彦の目には、この荒涼とした景色が神の火を軽視した報いのように映る。矮小な人間が自身の力を過信したゆえの刑罰のように思える。もし天上にアポロンが実在するのなら、今頃は下界を見下ろして嘲笑しているに違いなかった。」という邦彦の心境を描いた部分があるが、まさにその通りだ。

 

 

喉元も過ぎていないのに、欲に目をくらませて、人々の関心が薄くなったのを幸い、どんどん原発を再稼働させようという動きが盛んだ。すでに禁断の果実に手を出してしまい、始末の付け方さえ分からないのだから、研究者を途絶えさせることはできないけれど、それにしても、まずは起きてしまったことの責任をしっかりと認めないことには、先に進んではいけないのではないか。

 

国が、「絶対安心、安全」と言っていたものがまるで安全ではなかったことをまず認めて、国民に対して謝ってほしい。その上で、徐々に廃炉にし、いずれ原発ゼロを目指すが、当面は・・・という正直な説明が欲しい、と私は思う。

 

 

どんなに偉い人だって、人は間違う。間違うこと自体は恥ではない。問題はその後だろう。なぜこの国の責任者たちは、間違いを認めることを恐れるのだろう。間違いを糊塗しようとして嘘を重ねていくことの方がずっとみっともないのに。

 

 

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今夜は『富士ファミリー2017』!

去年のお正月に放送されて、とっても良かった木皿泉さん脚本の『富士ファミリー』。ちょうどオーガストがもう大分具合が悪くなっていた時だったけれど、その彼女を腕に抱きながら見た感想を、書かずにいられなくて書いている。

 

yonnbaba.hatenablog.com

 

 

昨年の好評を受けて、続編がつくられたそうだ。前回キャストに加え、今回のゲスト出演は、東出昌大さん、鹿賀丈史さん、萩原聖人さん、さらに、芥川賞作家の羽田圭介さんという興味深い面々。羽田さんは木皿さんの熱烈オファーに快諾して、張り切って出演なさったとか。

 

映画でもドラマでも続編はもとの作品を超えられないことが多いけれど、昨日放送されていたスピンオフミニドラマの片桐はいりさんの笑子おばあちゃんがもう傑作で、見ない訳にはいかない。それになんといっても、木皿さんの作品を信頼している。

 

 

今夜9時から。NHK総合です。見終わってあったかい気持ちになるドラマだと思います!

 

番組公式サイト:

www.nhk.or.jp

 

 

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今日も居酒屋の女将さん...

(写真は昨日のものですが、今日もほぼ同じ格好)

牛とろ丼をいただく

今日は何も予定が入っていないので、お昼にゆっくりと牛とろ丼をいただいた。

 

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下の方にちょろっと写ってしまった絣模様は、私の上っぱり。この一週間だけでも着物で過ごしてみようかと思い、出かける用事のない今日も普段着の着物にこの絣の上っぱりを着て、ちょっと居酒屋のおかみさん風?着物も上っぱりも母のもの。

 

お肉とは思えないサッパリとした食感、ネギトロ丼のよう。いけない、これではご飯がドンドン進んでしまいそう・・・。炊きたてご飯を用意するだけで、何も手を掛けなくても美味しい丼が食べられてしまう。横着者の私には実にありがたい。marcoさん、ごちそうさま。味覚が繊細でない私には、あまりこまやかな感想が書けずごめんなさい。

 

今回は焦って刻み海苔を忘れてしまった。海苔、大好きなのに。まだ、あと5、6回くらいは食べられそうなので、次回は海苔を忘れないようにしたい。

 

 

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近所の神社に詣でておみくじを引いた。中吉くらいがいいのかも知れぬ。

めでたさも中くらいなり・・・。

2017年はこれで幕開け

 

皆さま、明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

さて、2017年はやっぱりこれでスタートいたしました。

 

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一番手前の方は、今年の干支の鶏の着ぐるみで鍵盤ハーモニカを演奏しています。一番遠い蒲郡市からの参加なのに、一番乗りで、私が駅前に到着した時には一人で「一月一日」を演奏していました。参加者11人、着物は私ひとりでした。

 

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この後このプラカードを掲げたまま駅構内を突っきって駅西口(新幹線側)に出て、羽田八幡宮まで行きました。道を行く車の中からも結構見てくれていたようです。まあ、正月から物好きな・・・という冷ややかな思いの方もいることでしょうけれど。

 

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ここで初詣を済ませようと思っていたのですが、午後2時前というこの時点で、初詣客はまだ数十メートルの列。並ぶのは苦手なので、またこのまま列の脇を歩いて帰って来ました。

 

 

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ひょっとしたらどこかでお茶でも・・・となるかなと思いましたが、家で家族の待つ方もありそのまま解散となってまっすぐ帰宅したので、帰り道で花びら餅を購入。家で一人ゆっくり元日からの行動をねぎらいました。

 

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次はコーヒーをいれて、ミルフィーユ。

ああ、正月太りの道まっしぐら!